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Yakov

2009年01月04日

負傷章

 1942年に採用された負傷章は基本的に現代でも使用され続けている。もともと帝政軍で左腕につけていた負傷リボン(当時は金と銀)が元になったもので、まあ正直ただのリボンなのであるが。
かなりきっちりと規定された記章なのだが、ご多分に漏れずバリエーションは物凄い。



大戦型軍服だと大体この位置につく(通常は勲章・メダルから10ミリ上)。重傷は幅5~6ミリの金または黄色、軽傷は暗赤色リボンを43ミリの長さで縫い付ける・・・のが基本だ。



当然ながらこういう専用の織り出しリボンも存在する。そのまま縫い付ければリボン同士の間隔もちょうどいい、という横着者の夢のようなリボンだが、こんな便利なものを手に入れることが出来た兵は極めて少ない。




このリボンと将校野戦肩章の識別リボン(戦闘兵科用)と比較してみよう。ボルドー色と規定された識別リボンは暗赤色とはあからさまに異なるのだが、このリボンを縫いつけた兵がいないことはない。・・・まああるものを使う、という奴である。



左側はまあ規定どおりといっていいと思うが右は・・・リボンの幅、長さ、色と全てにおいて規格外である。まあ戦勝記念日に軍服で繰り出す元軍人とかもいるわけなので「適当に作った負傷章」にダメ出しが出来ない場合もあるのかもしれない。
余談だが、ウクライナの業者に出鱈目な改造軍服(まがい)をe-bayに大量出品する奴がいるのだが(面識はない)何でもかんでもオーバーサイズの負傷章を大盤振る舞いするのでしばらく「負傷章がつく=偽物」というパブロフの犬的心理状態に陥ったことがある。ま、e-bay外ではあまり見たことがないのだが(笑)。



これは映画用衣装についていた手縫い刺繍の負傷章。幅といい長さといい規定を無視しきっているのだが不思議な魅力があるのもまた事実である。・・・でも、重傷章は必ず軽傷章の上につくので画像のような組み合わせはありえないのだが。あとで上の軽傷章を引っぺがしておかねばなるまい(笑)。


88規定書を見るとビニールプリント(台座は軍服の色により様々)の負傷章も存在するようだが、苦労して探すほどのこともないような気がする(爆)。  
タグ :記章大戦

Posted by Yakov at 18:39Comments(0)