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Yakov

2009年08月07日

リエナクトの極北。

 今回も(昨日到着した)書籍類から。リエナクター用に刷られた各種書類のブランク(未記載の用紙)である。



容量節約のためモノクロで掲載したが、全て薄いブルーの表紙に生成り(というか未漂白の)用紙で出来ている。
第一次大戦時の兵用個人覚書と軍事義務教程完了証明(義勇兵が持つ)であるが、普通のリエナクトではせいぜい見開き2ページの軍籍証明くらいしか作らないのではなかろうか。







雑多に中身を並べたが、覚書の方は閲兵、装備検閲時の装備配置や身だしなみ、モールス信号表や銃器(モシン小銃限定だが)の構造、照準、分解や弾丸の特性、祈りのポーズと標準的な祈祷内容に通常の兵心得が加わったかなり豪華な代物である。
負傷記録や手当て配給証明とか「本部記載」欄も多いのだが、個人記載欄と心得欄を見るに、義務教育が貧弱な帝政期、一般兵対象にこれはないだろう、という気がしてならない。
・・・まあこの辺は「リエナクト用」というより「手に入らない貴重な資料のリプリント」と考えるべきかもしれないが、軍事義務教程完了証明に至ってはかなりのページ数に種々の記載欄が延々と続き、リエナクターが「脳内設定」する限界をはるかに超える物となっている。オマケにいちいちハンコやら上官のサインとかがいるわけで、こりゃあシャレで(未記載のまま)雑嚢に入れるくらいしか活用できそうにない。
これを自分で設定するリエナクターがもしいたら、「メンタルプレイの人」と呼ばねばなるまい(<プレイとか言うな)。
  

Posted by Yakov at 17:40Comments(0)

2009年08月06日

招待状

 本日、春に購入した書籍の残り約45kg到着。バタバタしているため今回の荷物に混ぜ込んでいた(笑)戦中~戦後の各種招待状の紹介でも。







例によって雑然とした画像で恐縮だが、これらは同一人物・海軍の将官からでたもので、戦中~戦後の革命記念日や建軍記念日、戦勝記念日などの招待状である。
規模の大きいものは各管区でまとめて印刷した豪華なものだが、全て手書き、という別の意味で豪華なものもいくつか混じっている。本部勤務には字やイラストの上手い士官、下士官が必ず配置されたわけだが(そういえば旧ブログで紹介したパレード次第表もそうだ)その現物はなかなか興味深い。

この中にはプログラムが記載されているものも多く、赤旗勲章の授与式では勲章授与>食事会>文化プログラム・・・と記載されていた。

今回も見たまま解説で失礼。
  

Posted by Yakov at 18:33Comments(0)

2009年08月05日

シベリア出兵。

 昨日日本の友人からシベリア出兵関連の品を譲り受けた。今回はその紹介を。





敗北した元白軍将校が日本側に亡命する際、事情を聴取した憲兵にプレゼントした、とされる肩章と略綬。筆書きの顛末書が添えられており、その士官の名前等も書いてあったがアタマン・クズネツォフ部隊の「探偵局長」で佐官の階級等々の説明含め、どこまで正確かはよく判らない。
まあ旧ロシア軍では尉官5階級佐官2階級という変則的な制度だったため「大尉」を「佐官級」と訳すのはあながち間違いではないと思うが。
ともかく顛末書によると「探偵局長」と副官の肩章らしいのだが片方は文官(物資不足で文官用の織物を使用したのでなければ、だが)、片方は医官(大尉)用の肩章であるためこれまたどこかで情報の食い違いがあるように思える。まあこういう謎含みのほうが面白いといえなくもないのだが。

ちなみに略綬は聖ウラジミールとスタニスラフ勲章のものだが、帝政期には略綬のサイズ(高さ)というのは厳密に規定されていなかったようで、実にいろいろなサイズのものが見られる。

「見たまんま」の現物紹介で申し訳ない。  

Posted by Yakov at 18:14Comments(0)

2009年08月04日

建設関係(3)

 本日来客につき簡易更新。



前回同様「白海運河建設者」に贈られた銀製記章である。もちろん1932年の本物が買えるわけもなく高級複製なのだが、主な支給者の建築技師や治安機関員はその後軒並み粛清にあったはずなのでそもそも現物が何個も残っているとは思えない。


*Не личная колекция.

知人のコレクターが所有している戦前型白海運河優秀建設者章のヴァリエーション(この頃だとボルガ~白海航路とでもいうべきか)。受領した治安機関員の身分証つきで入手したらしい。



戦前型のバイカル・アムール鉄道建設優秀章。戦後コムソモール員や学生義勇建設隊が大挙して駆けつけたБАМ鉄道であるので筆者などは明るいイメージの方が先行するのだが、戦前となると・・・である。これまた銀製の高級レプリカ。
  

Posted by Yakov at 20:38Comments(0)

2009年08月03日

ピオニールキャンプ(1)

 昨日今日と野暮用が続いたため本日も簡単ネタ。



数あるピオニールキャンプでも特に名が知られているのはこのアルテークであろう。クリミアにあり、外国人も幅広く受け入れていた大型施設で、現在でも活発に利用されているらしい。
画像のワッペンは布にプリントされた簡単なものだが(推定70年代)、ワッペンのみ配布されたものか備品の服類についていたものかは判らない。



(ソ連時代の)ロシア連邦共和国農産省付属のピオ二ールキャンプ・「ロシア」のバッジ。結構大型で、おそらく成人職員が身につける物だと思う。
このような(かつて企業や大組織が所有していた)ピオニールキャンプの多くは現在ほぼ機能していないのだが(ボロディノで参加者が宿泊する旧ピオニールキャンプは設備の多くが使用不能だった)、90年代後半に隣人の小学生が「夏にはピオニールキャンプに行く」、と嬉しそうに話していたものだ。
現在ではピオニール組織も(自主サークルとして)活動が活発になったらしくこのような新型グッズを目にする機会が増えるかもしれない。

まあ(特に夏期)ピオニールキャンプは特に政治的な活動をするのではなく「自発的に遊び、創造的な諸活動を応援する」のが主眼であったようでソ連の子供(+一部の在ソ学童)には本当に夢のような場所であったそうだ。この辺は故米原万里氏のエッセイなど面白い資料がいくらでもあるので筆者が付け加えることなど何もないが(何しろ休業中のキャンプ施設に泊まっただけだし)。

・・・昨日聞いた(笑)知人の話だが、ソ連解体の年に小学生だったロシア女性某は待ちに待ったピオニールキャンプの直前、「今年でピオニールもピオニールキャンプも廃止する」と宣言したゴルバチョフは「一生許さない」と今でも怒っているそうな(笑)。
昨今のピオニール復興を省みるに、「割を食った世代」というのは確実に存在するようだ。
  

Posted by Yakov at 18:41Comments(0)

2009年08月01日

マニュアル(4)軍事輸送隊

 本日は夏風邪及び一日立ち仕事で結構グロッキー(<死語)であった。以前に取り溜めた画像で失礼。



鉄道輸送及び水上輸送に関するマニュアルには書式見本が綴じ込んであった。まあ書類不備で荷物が行方不明というのは軍隊ではありうべからざる事態な訳で(ま、結構頻発したらしいが)実に細かく規定されている。アバウトな筆者など映画「未来世紀ブラジル」みたいに発作を起こして倒れそうである。


 兵員輸送貨車のレイアウト。以前ロシア映画のエキストラで戦時建造の輸送貨車に乗り込んだことがあるのだが、この資料を見て大戦時と戦後70年代ではそれなりの差異があることに気がついた次第。



給食調理貨車の一例。野戦給餌車をそのまま積み込んだものと永久固定式があるのがわかる。



車両積み込みの車両配置例。装軌車、装輪車の固定法(ストッパーの噛ませ方)とか普通知る機会のないことが当然のように載っている素晴らしい資料である(当社比)。



ポンツーンによる移動、渡し舟による移乗法など河川移動についても盛りだくさんな情報が・・・。

・・・圧倒的多数の読者諸氏には申し訳ないが、今回は全国約2名の愛好家向けの記事ということで。
正直夏風邪で判断力が鈍っているのかも(笑)。  

Posted by Yakov at 20:48Comments(0)