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Yakov

2009年09月12日

金の話は・・・。

 コレクションで家計が火の車とかそういう話ではない(まあ現状を見るに、「当たらずも遠からじ」だが)。



帝政とか戦前の紙幣とかは結構集めているのだが、ソ連末期の紙幣というのは(多少トラウマがあるので)どうもコレクションという気がしない。ま、この画像の半分くらいは久々に古銭商からただ同然で買ったのが混じっているのだが。

ソ連時代は公式にルーブル海外持ち出し禁止だったこと、(88年現在)1ルーブル240円だったりで最初のうちは「余ったルーブルを持ち帰る」などとは考えなかった。
それが翌年には旅行者レートの24円というのが出来、気が大きくなったので「どうせ税関でも調べきらないのだから持ち帰ってもいいか、どうせこの後も行くんだし・・・」と25ルーブルとか持ち帰った後にソ連解体、続くハイパーインフレ・・・。そんなわけで「現役紙幣は持ち帰るまい」としばらく刷り込みがされてしまったのだ(今では平気で持ち帰っている。でないと再入国時に空港で雑誌も買えない)。

まあゴルバチョフがいきなり50、100ルーブルを使用中止にしたりしていた時代である。当時の市民の外貨偏重の気持ちは筆者にもよくわかった(今ではドルの方が信用できないけどな)。



参考までに93年にはすでに10000ルーブルがでていたがその後すぐにデノミで(確か2桁0が消えた)、97年にモスクワに住んでいた頃にはすでに「薬局のお釣り」でしかお目にかかれないような小額紙幣に成り果てていた。・・・で97年の後半にはまた3桁デノミで「10カペイカ」だかになってしまったと思う(この辺記憶が曖昧)。


Муляж(макет для кино)

・・・ここからが今回のネタ、ソ連国外貿易銀行発行の金券(すでに効力なし)・・・の模型。リエナクメントに使うためにちょっとアレしてみたのだ。
国防省ヴァージョンで国外で勤務する軍人の給料はこれで支払われたのだが、ソ連国内の外国人専用高級店"ベリョースカ"でも使えたためヤミの価値は非常に高かった・・・という代物。やはり早々に換金・・・というか物品購入に当てられたためだろうか、いまの古紙幣業界でもそこそこの値段がついているようだ。

・・・当時モスクワのベリョースカで買ったフィンランド製のムートンコートは今も持っている。映画「ゴーリキーパーク」でも使われていた「ソ連での高級品」だったわけだが、同じ売り場にあった似たような裁断のソ連製コートにしなかったことを、実は今でも悔やんでいるのだ(しかも3割がた安かったし)。

結局最後は「お金」の話になってしまうのも筆者の貧乏性ゆえ・・・であろうか(涙)。

  

Posted by Yakov at 17:52Comments(0)