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Yakov

2013年02月07日

旧型マップケース(1)

 またボチボチと大河ネタを始めたい。ソ連・ロシアの地図ケースといったらそれはもう…。



まずは帝政型マップケースから。1912年型・・・ということになるがこれらも双眼鏡ケース同様にまちまちな型が同じ規格名で呼ばれている。



これは廉価版なのか非常にシンプルである。鉛筆ホルダーが別の革板についていてこれをポケットに差し込むタイプではあるのだが。



ショルダーストラップもごく簡単である。U字型の革ストラップに吊り下げベルト通し(移動式)を付けた1点保持式…というのもあるのだが。
・・・この項、次回も帝政の別バージョンを。  

Posted by Yakov at 17:20Comments(2)

2013年02月06日

防寒小物(5)

 東京は雪だったので(すぐ消えたけど)また小ネタで。





戦前から使われている「ブルキ」と呼ばれる防寒靴。例によってフェルトというか圧縮ウールで作られたものでワレンキのような全一体成型ではなくちゃんと革底がついているのだ。
戦前は大体大佐以上(主に将軍)が使っていたので軍装マニアは「将軍ワレンキ」とか勝手に呼んでいたが。戦後の結構息長く使用されていて5-60年代中国製や東ドイツ製(底部品だけかもしれないが)などもときどき見かける。
将軍用の毛皮ジャンパー(ジッパー式)と同時に導入されたジッパー開閉黒革毛皮ブーツと入れ替わったようだがロシアの冬にはこの方が適している気もする。・・・雪解けが始まると悲惨なことになるけどな。  

Posted by Yakov at 17:46Comments(0)

2013年02月05日

雑記・帝政写真資料

 今回は日本でも入手可能な紙ものについて。まあかなり根性がいるのだけれど。



筆者は卒業生ではないのだけれど、世田谷区経堂の東京ロシア語学院がロシア連邦古文書局ほかと協力して復刻した「ロシア人捕虜写真コレクション」が今回のネタである。フランス人写真家が日本各地で撮影した日露戦争捕虜の写真を仏露日の解説をつけて復刻したもので235pに写真453枚、発行物からの複写にしてはかなり鮮明なのでマニア的に非常にありがたい。





(あまりアップにすると著作権上アレなので)低い解像度で失礼。護送途上の写真や日本の捕虜収容所のほか捕虜収容に利用された地方都市の寺社などを背景に「帯刀」を許された将校とか日本製の詰襟服を支給された(一部の)兵士、日本製の服(に強引に)階級星をぶち込んだ文官、戦地染めのカーキ服など、また畳敷きの部屋に無理繰り設営された管理部など非常に見どころの多いものであった。

・・・この本は(一般販売ではなく)東京ロシア語学院への寄付に対する謝礼頒布であるため、入手ご希望の方は学院の方に問い合わせていただきたい。筆者も懐不如意なのだが(個人購入にはちょっと苦しい)さすがに入手せずに座視はできなかったのだ。  

Posted by Yakov at 17:21Comments(0)

2013年02月04日

交通ネタ(60)

 今更感が漂う73年式アエロフロート制服だが、落穂拾い的なネタはまだあるのだ。



こうして全体を見ると差がはっきりわからないがカテゴリー12と呼ばれる「大佐相当官」の制服である。



便宜上大佐相当官とは書いたが金コイル刺繍の肩章、将軍型の国家章ボタンをみるとほぼ将官(戦前のコムブリーグとかコムディフのようなものか)の扱いであることがわかる。
マニア的には幸いなのだがこれに金線が一本増えた13カテゴリーとこの12カテゴリーの制帽はいわゆる機長用制帽(つばに金属柏葉をぶち込んだ将校制帽)同型(裏のサイズ調整バンドとボタンのみ大佐・将軍タイプ)となる。16~14カテゴリーの制服などそうそう手に入るわけでもないので「刺繍制帽章」を探すまでもないと思っている(当面、だけど)。



シングルブレストの73年式男性用制服というのは非常に珍しい。買った時は地上整備員かパーサーか…と思ったのだが資料を見てびっくり。候補生しか着用しない服であった。黄色いビニールプリントの肩章は見たことがない(モスクワのバッジ交換市でも探せばぽろっとありそうな気もするが)し、そもそも候補生を再現できるような歳でもない(笑)。
…ボタンの位置をずらして無理やりダブルブレストにしたくても出た腹がつかえてままならないのであった(泣)。  

Posted by Yakov at 17:30Comments(2)

2013年02月03日

光学器(10)付属品3

 またも帝政型装備の続き。このケースは1928年製ツァイス双眼鏡と同時に出たのだが、最近出た帝政近衛将校資料でも今回のものと全くの同型が載っているので1912型販売業者バリエーションとして扱うのである。



スリング固定金具がなく(のちのソ連製で当たり前になる)革タブにストラップを通すだけの簡易構造になったタイプ。



ストラップが短く肩掛け式ではない「ハンドバッグ」風なのだがこのタイプも実はありふれたパターンなのだ。腰ベルトに通すストラップもかなり廉価版感がただよっている。



中身の方は可もなく不可もなく。のちのソ連製によくあるようなレイアウトなのだ。  

Posted by Yakov at 16:54Comments(2)

2013年02月02日

ソ連海軍歩兵・仕切り直し(6)先祖帰り

 まだ冷戦期も終わってないのにさらに先祖帰りを続ける迷走展開である。



1944年型の海軍歩兵用サブデュード帽章。大戦中期に野戦カーキのキーテェリとか制帽とかピロトカが導入されたのだが現物は一向に出てこない。命令書はあるので再現しても罰は当たらない気がするのだが、知り合いの誰も現物を見たことがないのでちょっと躊躇してしまう。



下はサブデュードタイプの袖用階級章の星だが、規定が残っている海軍歩兵制服は陸軍式肩章(裁断は海軍キーテェリ)なのであまりそれ用とは思えない。42年とかに紺キーテェリに無理やり縫い付けていたのだろうか(その場合階級ラインの色が謎として残る)?
上の方の星は単に絹製(金コイル刺繍でない)の袖用星章だと思うが資源節約バージョンか何かなのだろうか。



大戦初期からそうなのだが、陸式制服左腕にこの記章を縫い付ければとりあえず海軍歩兵である。銀は支援兵科、金は戦闘兵科と思われる。右端の黄色い絹刺繍は戦前の士官候補生用によく似ているがこの記章をつけた海軍歩兵の写真は多い。



1940年の下士官用帽章なのだが、大戦時の写真でこの帽章を(赤星も付けたまま)上の錨記章の代用に使っている写真が結構ある。「錨なら何でもいい」、レベルで使用されていたのだろうか。さすがに戦後にはそんな事例もなくなったが。  

Posted by Yakov at 17:29Comments(0)

2013年02月01日

光学器(9)付属品2

 今回も帝政型ケースの続きを。





この間のものとよく似ているのだが、蓋上のコンパスホルダーがなくただのストラップになっている。ここにコンパスをはさむと失くしそうなのでコンパスは図嚢の方に収納するのだと思う。ストラップ留め具も前回と同様だ。



中身の方がご覧のとおりがらんどうである。別にこれでも十分本体は保持できるわけで、ツァイス型以外の双眼鏡にも使える点ではメリットなのかもしれない。

このネタはまだ続く。  

Posted by Yakov at 17:16Comments(0)