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Yakov

2016年07月29日

再録46・戦前~戦中のパレード服

 今回は正統派ミリタリーの話題を。コサック部隊を別にすればほぼパレード服が存在しなかった戦前のソ連だが、例えばクレムリンで儀杖を行なう空軍の兵士に士官用の濃紺のギムナスチョルカを与えるなど、(手持ちの軍服を晴れ着に流用するような)それなりの工夫を続けていた。1940年に将官のパレード制服が制定されたのを機に佐官以下のパレード服が検討され、その結果1941年に採用されたパレード服が今回の主題である。もちろんこれの支給は極めて限定されており、一般の服装規定に登場するのは43年改訂版を待たねばならないわけだが。



歩兵科政治士官の礼服(中尉相当=政治士官では最下級)で、襟の外周、前立て、カフス、腰の「スカート部」(最後の写真参照)に兵科色(この場合ラズベリー)のパイピングが着く。通常政治士官の襟章にはエンブレムが着かないのでこの服はややイレギュラーだ。通常カーキ色の側線入り乗馬ズボンと組み合わせる。



内務軍下士官の礼服(下級軍曹)。襟が詰襟となり、パイピングは襟周りとカフスのみ。これが兵卒になると全てのパイピングがなくなり、綿製となる。プレートバックルのベルトはこのとき制定されたが、この頃はまだフックの向き(合わせの方向)が逆になっている(帝政式)。





全階級詰襟、肩章式となった1943年の中級指揮官(尉官)用パレード服。43年式においてもパイピングのシステムは41年式と同じで中級と上級士官では襟章の形状と袖章の数が異なり、兵と下士官はパイピングの有無のほか、襟章に入る金線の有無も相違点である。
日本語ではどういうか難しいがこの部分を俗に「юбка(スカート)」と呼ぶ。
(2006/8/23)


  

Posted by Yakov at 21:29Comments(0)

2016年07月29日

再録45・国境警備隊海上部隊(1943~2006)

 恐ろしく長い期間を概括してしまうのだが、国境警備隊海上部隊は基本的に同時代の海軍装備と殆ど同じである。記章類の差異を取り上げれることでとりあえず説明してしまうのでお許しいただきたい。



典型的な69-91年の常勤リーファージャケット。43-55年の期間は六角形の金肩章がボタンで固定され、55-69年の間は台形の金肩章が着く、というだけの違いである。現代ロシアでも海上部隊(沿岸防衛部隊除く)では肩章と腕章以外同一裁断の服が使用され続けている。階級は一等艦長(大佐)で、海軍との差異は肩章の緑の縁取りのみである。右胸に国境警備隊60周年及び70周年メダルが見えるが、これは地上部隊と同様、海上部隊にも授与されている。



現用ロシアの勤務用ブルゾンの記章着装例。階級は三等艦長(少佐)で左腕に海上部隊専用の識別章がつき、右腕には通常部隊・所属兵科等の細分化された識別章がつく。



制帽・水兵帽なども含め殆ど軍と同一規格のため、記章類をまとめて撮影した。
水兵リボンは70年代以降の典型的なもので、使用された時代により字体・内容とも大きく異なる。
左端は水兵用階級章で黒に緑の縁取り、これに金属製の文字か階級リボンが縫い付けられる。
その右の金肩章は43-55の通常肩章または43-69の詰襟用肩章。69年以降の礼装用は同様の配色で形状が台形(緑縁黒線)になるが、これは海上部隊でも「航行要員」のみ。軍医や技術士官などは下に見える緑線緑縁の肩章が用いられる(軍医では時代によって金→銀になったりするが、まあ一般論として)。
その右は69年以降の詰襟及びブルゾン用肩章。これも航行要員専用である。
右端の2つは航行要員以外の常勤肩章(69年以降)。一例として軍医のエンブレムをつけた。
下の腕章は現ロシアの通常用国家章で先に紹介したブルゾンの左腕に付く場合が多い(90年代初め)。これはベースが暗緑色だが緑色(国境警備隊地上部隊)青(同航空部隊)、黒(同海上部隊)の計四種類があり、もちろん制服につけるのは黒いものである。
(2006/8/22)  

Posted by Yakov at 21:22Comments(0)

2016年07月29日

再録44・1935年式軍服(フレンチ)

 今回も「何をいまさら」のような内容で恐縮だが、1935/1940軍服について。この頃の軍服は資料も豊富で、さすがに事細かに解説せずに済むので今日のように体調が悪い日には助かる。
現代のロシアではリエナクメントが盛んになり、コレクションとは別に野外で着用するための35/40年型制服はまとまった数のレプリカが作られるようになって来た。昔の映画用と異なりマニア連中が手がける襟章や袖章、ベースの軍服(もっぱらギムナスチョルカだが)は充分鑑賞に堪える出来のものも多い(高品質のものはモスクワ・ペテルブルク製にほぼ限られるが)。
もっとも1935年式フレンチ服の現物はいまや入手困難の最たるもので、出来の良いレプリカ(ソ連時代の博物館納入品など)が入手できれば運の良い方であろう。



これは比較的信憑性の高い空軍開襟フレンチ。これとグレーの開襟戦車兵用以外、フレンチ服は全兵科同一規格である。写真の制服は旅団指揮官(ほぼ少将に相当)で35年式袖章がついている。フラッシュが反射してしまったが腕章は飛行科。



砲兵用フレンチ。モスクワの某マニアが体型変化により(笑)放出したおそらくは実物である。付属の記章は40年改定の中尉。修復跡が目立つがこれはまあ仕方あるまい。ボタンの数が5個というのはやや変則的だが着用の実例も多い。



騎兵用フレンチだが、裏地の材質その他を見ても、高級レプリカと思われる。まあ上等な生地を使っておりコスプレには贅沢すぎる位だが。40年式大尉の記章が付いており、兵科色のパイピングは比較的暗い青である。



当時の制帽の一例(全兵科を紹介していたら画像が3枚ぐらいになってしまう)。帽体が暗青色、鉢巻がライトブルーの制帽は35年式空軍用で、全体が暗青色の制帽は1939年式空軍用。この空軍士官用帽章には何種かのバリエーションがある。右列は砲兵と騎兵の制帽だが兵用制帽の帽体は綿製、将校はウール(またはギャバジン)と規定されている。

35年式制服について語るべきことは多いがまたしばらく間をおいて紹介することにしたい。
(2006/8/21)
  

Posted by Yakov at 21:18Comments(0)

2016年07月29日

再録43・重要!for your eyes only.

 珍しく敵性語(笑)の表題だが、二日酔いで頭が回らないので仕方ない(嘘)。昨日の来客、本日の「野暮用」といろいろあったためのお手軽記事なのだ。



10年前に(日本の店で)在東独ソ連基地ルートから購入した航空スタッフカバン。サブバッグ、本体ともに紐を通して封蝋(実際には粘土を使用することも多い)するスペースがついている(革の円形部分。カバン本体は名札の裏に封蝋スペース)。全体がキルザ(ブーツに使用するキャンバス製人工皮革)なので恐ろしく重い。
まあ重要書類カバンに鍵と封蝋をつけるのはどこの国でもやっているだろうが、ロシア・ソ連はこの手の封印が特に息長く続いている国で、現代でも公共施設(図書館、博物館等)では最後の退室者がドアに紐と粘土(型押しスタンプは別の場所に保管)で封印するシステムが生き残っている。実は飛行用計算尺や分度器を収めるプレートがあったはずだがどこかに入り込んでしまった。



年代不明の本革製カバン。前の所有者が(面倒だからか?)封印部をカバーする革タブを取り去って使用していたらしい。止め具や型押し革の特徴は50-60年代といったところだが製造年を示す布タグが失われていたのが残念である。



合皮製のカバンだが、全体が袋のようになっていて上端を折り曲げて金具で止める特異なデザイン。ネームプレートがあるので公的機関で使用されていたのは間違いないが、革タブの構造などかなりぞんざいな造りである。軽量なのが救い。



これはまたより後世のものだが留め金に鍵がなく、封蝋スペースだけがご立派な造りである。一般人には無価値だが管理は必要な書類でも収納するのだろうか(適当)。構造は前掲のものと同じ「折り曲げ式」だ。キルザ製よりはましだがそれなりに(無駄に)重い材質である。

封蝋スペースのない官用とも私物民間用ともつかない革鞄、郵便用の布製集配カバンなどこの手のネタは尽きないが、まあ「機密もの」という位置づけで今回紹介した次第。
これらのカバンはコレクションというより実用品として持ち歩いているのだが使うたびに剥がさねばならない封印をするのは(帝政時代の封蝋など恐ろしくて使えないものは持っているものの)お遊びにはあまりにもったいなく、専ら油粘土に30-50年代の封印スタンプを押している。まあ変態の道楽だから仕方ないか…。
(2008/8/20)


  

Posted by Yakov at 21:12Comments(0)

2016年07月29日

再録42・ティータイム・スターリン時代の陶器

 こう暑くなると軍服の写真を撮るのも苦痛である。今回は趣向を変えて食器の紹介でも(HP開設直後にもやったのだが)。



帝政時代のサモワール(もちろん炭火式)と戦前の純正赤軍用(軍食堂の備品だろうか)の食器類。写真は大皿と塩入れ(丸いもの)、芥子壷、砂糖壷にミルクピッチャーだが、胡椒入れ、小皿、スープサーバーその他アイテムは数多く、モスクワから船便で送るリスクを考えてもコンプリートは出来そうにない。ちなみにティーポットは赤軍用ではなく、戦前の備品である(多分旅行者食堂)。コップホルダーは真鍮に銀メッキで国家章をイメージした赤旗が11本描かれているので1945年以前の製品なのがわかる。
サモワールには取り外し式の煙突があり、野外で起こした炭火を中心のパイプ部分に入れ、ブーツをふいごのように使って温度を上げる、という技があるのだが東京都内で火を起こすのもそれを室内に持ち込むのも剣呑である。そんなわけで未だに煙突を購入する踏ん切りがつかない。



今度は海軍のティーセット。実はカップだけが貴重品で1950年代の品。海軍がВМСの名称を与えられていたのは1946-55の期間のみでその以前&以後のソ連海軍はВМФと称されていた。ちなみにティーポットと砂糖壷は80年代の軍用。意味なく転がっているフォークは帝政期のもので伝説の巡洋艦"АВРОРА"の艦名が彫り込まれているが信じるも信じないも自由である。ただ、殆どメッキが剥げた中で艦名部分にはクロームメッキが残っているのだが、(購入価からして)そんな手の込んだ細工をした偽物とも思えない。



塩コショウいれ(同型)と芥子容れ(小型スプーンをさす穴がある)はNKVDの食堂備品。ナイフとフォークも同様で、テーブル番号(27番)が掘り込んである。当時そこでくすねたとしたら相当な心臓だが、まあ「改装による廃棄品を拾ってきた」あたりが妥当なところだろう。値段は決して安いものではなかったが、モスクワのボロ市にはこんなものも転がっているから侮れない。
ティーカップとソーサーは30年代の民生品だが中々洒落たデザインである。さて、テーブルの敷物は…(笑)。
(2008/8/18)  

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2016年07月29日

再録41・若きソビエトの軍服(1925-29)

 前回、航空隊の記章について少し触れたが、1925年には早くも制服ともども改定が行なわれた。今回は20年代の航空隊と騎兵について簡単に触れておきたい。



1925年に制定された制服はカーキの開襟(英国式)服の上下、制帽であった。ワイシャツ及びネクタイもカーキ、記章は黒縁のスカイブルー。空軍のエンブレムは必須となった。(写真は無記章のままだが後述する26年式を参照されたい。また、技術・整備士の腕章が追加された(24年には気球科と軍事飛行科のみ)のもこの年。



26年式のフレンチ。再び濃紺の制服が復活した。下には白ワイシャツと黒ネクタイと規定されているが、私物の柄物ネクタイを着用した例も多い。写真のものはオーダーものらしくかなり変則的な裁断だが、まあ飛行士は洒落者、ということで納得するしかない。
ちなみに25年式、26年式の混用状態はかなり長く続き、20年代終わりの写真でも両制服が同時に使用されていたのが確認できる。



カーキ色の制帽のうち下が25年の航空隊制帽、上が28年に制定された全兵科(騎兵・騎馬砲兵を除く)共通の制帽。主な相違点は側面の換気穴である。その横は1929年式の騎兵・騎馬砲兵の制帽だが、これに統一されるまでは大変だった。



その大変な制帽(1927年制定)。帝政期の連隊別に色分けされた制帽へのオマージュであろうか、全部で120以上のカラーバリエーションが採用されたのである。帽体とパイピングが騎兵師団ごとに定められ、鉢巻の色が所属連隊を示す「順列組み合わせ」の練習問題のような話である。それに一般の騎兵、軍学校、銃兵など共通規格の制帽を加えた結果が前述の色数なのだ。レプリカで揃えたとしても気の狂いそうなこの制帽、コンプリートしようなどという人間がいるわけも無いが。ちなみに画像の制帽の一部はレプリカだが、実物と思しいものも2,3個混じっているのが恐ろしい。
今のモスクワでは価格的にもはや到底手が出ない…。
写真左列下から騎兵科共通制帽(総合職等)、第7師団(サマラ)の工兵及び通信兵、騎馬銃兵、右列下から第6師団(チョンガルスク)31連隊、軍高等学校、11師団(北カフカス)88連隊の制帽となっている。
冬服その他20年代ネタは尽きないが、まあもう少し涼しくなってから、ということで。
(2006/8/17)
  

Posted by Yakov at 20:58Comments(0)

2016年07月29日

再録40・若きソビエトの軍服(1924)

 今回は珍しく通常軍種の紹介である。革命直後のアバンギャルドで「どうかと思う」デザインからいわゆる軍隊らしい制服に復帰した、ある意味地味な時期のものだ。もちろん個性あふれるブジョノフカも健在なのでトータルコーディネートとしては代わり映えしないのだが。
*表題がなぜ「軍服」か、というとОГПУのような特殊機関もいずれ紹介する、という伏線な訳で、いつになるかは不明だがまずは乞うご期待。



 航空隊大隊長の夏用рубаха(生地は極厚だが)。陸軍用も裁断は同一、色だけが(カーキに対して)濃紺である。わずか一年で廃止される赤縁の襟章だが実は襟にエンブレムはつかない。世界的に有名な某書籍(1918-58の軍装について図解)を監修したハリトーノフ氏の勘違い(一行見落とした)が今年になって発見されたのだ。多くの資料本がそのミスを引き継いでいるのでのちのち混乱すると思うが。
そんなわけで軍装について記述するのも大変である。当サイトも何ヶ月かしたら、こっそり粛々と修正するかも知れないので時々過去ログを見直していただきたい(開き直り)。



通常版の歩兵科小隊長のрубаха-френч。カーキの乗馬ズボンを合わせるが、騎兵のみ青ズボンを履く。



騎兵科小隊長(手前)と工兵科中隊長のрубаха-френч。指揮官及び管理部門用のため前掲のものとは腰のポケット(貼り付け式になる)やカフス(筒袖飾りカフスになる)などに相違がある。
ちなみに工兵科の襟章に職種を示すエンブレムがつくのは正しい。前述したのはハリトノフ氏がこのエンブレムが他兵科にも適用される、と勘違いしたが故の間違いであったのだ。



1924年式の夏帽2種(航空隊と通常軍)。1922年の夏用ブジョノフカと比べるとかなりまともに見える。下に敷いている工兵科中隊長の襟は前立てを閉めるためのホックが追加されており、騎兵に多いデザインセンスである。誤解されがちだがソ連はヨーロッパの軍隊であり、基本的に指揮官の服は自弁。なんでもかんでも配給・官給だったわけではない。この服からも「注文者」がかなりの洒落者であったことが伺える。 
(2006/8/16)  

Posted by Yakov at 20:47Comments(0)

2016年07月29日

再録39・コサック・カフカス編1

 いつまでも放置していても何なのでそろそろコサックに取り掛かろう。コレクションを引っ張り出すだけでもひと苦労なので(暑い盛りにブルカの写真など撮りたくはない)途切れ途切れの長期連載になるだろうが…。



いきなり正体不明なカザキンである。間違いなく戦前のボタンといい変則的な裁断といい、1926年に制定された北カフカス民族騎兵の内着と推定される。詳しい資料にも北カフカス軍管区・第11騎兵師団の例しか載っていないのだがあたらずも遠からず、だろう。前あわせが通常のボタン式であるなど規定(組みひもによるフック式)とは微妙に異なるが。この場合グレーのチェルケスカ、のちのテレクコサック用によく似たクバンカ、ブルカ、カフカスベルトなどと組み合わすのだが、まあコスプレレベルなら手持ちの装備で何とかなりそうである。



これは典型的な36年式クバン・コサックのベシュメートである。サテン地で軽く着心地はよいが、上に暗青色のチェルケスカを着るので快適とは言いがたい。36年式はもちろん襟章がつくが、43年の肩章導入後もそのまま襟章を残した例も多い。まあチェルケスカに肩章を付ければよいので無記章の内着を着たり、通常軍服(ギムナスチョルカやキーチェリ)を着た連中も多いのだが。



先ほどの画像で「典型」と書いたがソ連軍の規定ではこのような縁取りのついた士官用も制定されていた。写真は40年式の大尉。騎兵の兵科章が本来は着くのだが省略(穴を増やすのが嫌なのだ)。七宝の階級章を3個に増やして「36年式の大佐」にしてしまう手もあるが穴が増えるのは同じだし…。



チェルケスカと組み合わせるとこうなる。まあ料理の盛り合わせ例のような画像である。で、このチェルケスカの色がなんとも中途半端で…黒なら山岳民族騎兵旅団、暗青色ならクバンコサックとこの組み合わせだけならどちらとも言い張れる。山岳民族…の場合ブーツが茶色になるなど面倒な部分はあるのだが、なぜか当方にはそんな小道具も転がっているのでコスプレ的には無問題。
クバン以外にもテレクコサックその他まだまだネタはあるので、続編を待たれたい(時期未定)。
(2006/8/15)
  

Posted by Yakov at 20:40Comments(0)

2016年07月29日

再録38・НКВД(1943)

 今回はうって変わってメジャーな特集である(当社比)。このサイトのご来訪者諸氏にはこの時期の軍装はもはや常識かもしれないが、まあコレクション紹介ということでご容赦いただきたい。
今更ではあるがここでいうНКВД制服というのは内務人民委員部所属のうち保安警察(通称ORGAN)と内務軍(通称VOISKA)の両者の事を指す。両者の違いについては英・露・日本語ともに文献も豊富なので軍服についてさくさくと話を進めよう。



常勤服として使われるкитель。写真は将官クラスのもので、ズボンにはロイヤルブルーのロンパスが入る。肩章は初期のジグザグ青刺繍が入ったものだがかなり早く廃止され、青い縁の単なる将官肩章が用いられるようになる。
余談だがこのようなシステムは(保安警察の場合)この期間だけで1954年には廃止されている。その後のKGBにおいても将官用の特別な軍服は存在せず、KGBの将官は通常軍と同じ将官服を着用していた。土産用のインチキKGB将官服などつかまされないよう用心されたい(ただし内務省軍の臙脂色ラインの将官服は実在する)。



内務軍中佐の礼服。民警1947年の項で少し触れた服である。これが保安警察になるとシングルブレストに青地の襟・袖章が付き、肩章には(写真にあるような)エンブレムを欠く。肩章は初期型のかまぼこ型だが、これもすぐに六角形の青縁肩章に置き換えられていく。将官用のビクトリーパレード服は通常の暗緑青色よりさらに青みが強いがいずれにせよズボン以外は当分手に入る見込みは無い。



典型的な野戦肩章の付いたгимнастерка。ポケットは貼り付け式で、プリーツは中・上級士官には大抵付けられているのだが写真のような例外も存在する。



制帽と肩章・襟章・袖章の一例。説明が煩雑になるので簡単に流すが、技術系・管理軍政系は銀地、銀ラインが用いられる。
兵用肩章で丸いアウトラインのものは特別任務で看守、消防などが使用する。写真のМЗは「拘置所」の看守で収容所の監視兵はОЛの文字が入る、といった具合である。
見にくい位置になってしまったが青地にラズベリー縁はORGANの下級職員が使用した肩章で、臙脂に青縁はVOISKA(囚人護送隊含む)が使用。襟章は青色に淡青縁が士官用、青に臙脂縁が兵用。将官用は青に金刺繍の縁が付く。
また尉官用の礼装用袖・襟章も参考に提示しておく。
(2006/8/14)
  

Posted by Yakov at 20:35Comments(0)

2016年07月29日

再録37・将軍旅行セット

 今回はちょっと趣向を変えてみたい。



引退した某将軍の旅行トランクである。70-80年代にもなると下級・中級の将校は私物の書類ブリーフケースと市販のスポーツバッグで出張に出かけていたものだが将軍ともなるとこんな官給小型トランクが支給されるようだ。
*大戦中の赤軍将校用旅行セットについては所有する規定書にかなり細かく定められている。現物に関してはさすがにトランクや簡易ベット等は無理だが、戦時中の洗面セットだけは所有している。
 フラッシュが上手く作動しなくて恐縮だが41X21X15cmの何の変哲も無い茶革カバンである。載っている盾は同時に入手したものだがすべてアラビア文字のため今に至るも正体不明である。



中身は洋服ブラシ、オーデコロン、洗面セット、鏡などとともに携帯作戦会議セット(筆記用具や拡大鏡を置くプレート)も組み込まれている。銀色の四角いケースは将軍専用のソーイングセット(ボタンもすべて将官用)で、こんなときでもないと一生目にする機会はなさそうである。



あまりアップにすると差し障りがありそうなので簡単に触れるが、1987年の革命記念日軍事パレードの式次第(素人離れした手描きイラストですべての兵器や隊列配置が描き込まれている)、地方都市での演習(出張があったらしい)の日程表(これも手描きイラスト入り)アフガニスタン行政地図(1976年カブールの測量研究所発行)10万分の1アフガン軍用地図、国防省書記局の封筒など資料性の高い「おまけ」がゴロゴロついてきた。
上に乗っているソフトケースは紙ナプキン入れで、英国製、西独製、チェコ製など何種類か入っていた。出張時に各地で購入したものだろうが物持ちのよさ、というかなんというか。外国製品が貴重だった80年代をうかがわせる品である。
(2006/8/12)  

Posted by Yakov at 20:29Comments(0)

2016年07月29日

再録36・ГУЛАГ(1936-43)

 今回紹介するのは矯正労働収容所総管理本部の制服。いよいよもって知名度の低い項目である。平たく言えば看守だが、医療部や事務官、警備員に至るまでほぼ同じシステムの階級・制服が制定されていた(護送隊は普通の内務軍制服)。階級名は役職との対応表が定められていてカテゴリー Ⅰ~ⅩⅡ(兵卒は番外)という無味乾燥かつ判りにくい名称のため、この項では高級~下級勤務員という分類名のみ示すことにする。
 1935年に収容所、拘置所、労働コロニーなど関連組織を統合してできたГУЛАГはその後も幾多の統廃合や部局名称変更などを繰り返してきたが日本語にしてしまえば殆ど意味のないことでもあり、この期間はとりあえずГУЛАГで通す。また、制服に関しても肩章が導入される1943年まで基本的に同じ制服システムが維持されていた。



中級勤務員のгимнастерка。中央の銀線は織り紐あるいは銀糸刺繍で中・上級勤務員共通である(高級勤務員は金色)。階級章は中級が写真の七宝入り円形で上級:銀星、高級:金星となる。下級職員も同等の服を着用するがポケットはフラップのみ見える切り込み式になる。
服本体は戦前の服を流用したが、記章はおそらくレプリカである。



内勤職員(看守)の詰襟服。実のところ素性が不明な服だが入手先がもと内務省職員なのでその可能性は高い。本来腰に切り欠きポケット(フラップなし)がつくはずだがこの服では内ポケットのみついている。階級章は下級勤務員(兵卒のすぐ上)のもの。




制帽は前回写真を掲載したので省略し、「山の賑わい」で囚人服の画像を貼っておく。もちろん当時のものではなく(あったとしても素手で触りたくはない)70年代ごろのものらしいが、他に紹介できるスペースもなさそうなので…。この頃には通常の刑務所ではすでに紺色の作業服・帽子を着用しており、このような囚人服を着せられるのは特別な場所に限られる。ちなみにもともとの入手先は不明である。
(2006/8/11)  

Posted by Yakov at 20:25Comments(0)

2016年07月29日

再録35・民警4

 今回は1930年代の民警を取り上げる。この時期はちょうど大粛清の時期であり、内務人民委員部(内務省の旧名)トップが替わるたびに制服が大きく変化したかなり難しい時代でもある。
1931年に軍に準じたスタイルの七宝階級章(ただし七宝は青色)が導入されたのもつかの間、36年には金線と星章を組み合わせた独自の襟章に替わり、39年にまた青い七宝に戻る、といった具合である。制服自体もグレー、カーキとグレーの並立(階級による)、再びグレー、1940年になって紺色へとめまぐるしく変化した。



その40年式制服。袖の国家章は七宝入り金属製で、中級勤務員以上(政治担当を除く)が着用するもの。正確には中級勤務員以上のボタンは金色だが、まあ解像度も低いので見逃していただきたい。



綿製の夏服。写真では白く見えるが実際は明るいグレーである。1939年式襟章がついているが1940年に廃止されることになるグレー服なのか40年式白夏服の色彩バリエーションなのか正直不明だ。黒塗りボタンはどうやらオリジナルなので型取り量産レプリカ(コスプレ用)を作りたいところ。



40年式制帽は以前43式の項で紹介したので1938年式制帽と36年式階級章(上級民警)、内務人民委員部中等学校卒業章、そして警察犬訓練学校の卒業章の画像を貼っておく。ちなみに民警制帽の上に見えるのは1936年採用のГУЛАГ(矯正労働収容所総管理本部)制帽で、また別項で紹介する。さらに時期は未定だが、20年代民警の制帽・襟章等でまた1項目を費やす予定。
(2006/8/10)  

Posted by Yakov at 20:21Comments(0)

2016年07月29日

再録34・民間防衛(戦前)

 今回は戦前の民間防衛について。1927~1948年の期間、ソ連の民間防衛を取り仕切っていたのはОСОАВИАХИМ(国防及び航空・化学建設協賛会)であった。ソ連本土が侵略される事態に備え、後方の安全教育を行なうほか、準軍事組織として若者の徴兵前訓練を含む様々な教育を行なっており、体力検定のほか乗馬技術、射撃、衛生看護、パラシュート訓練など独自の認定制度を持っていた。
この組織が発行したバッジ、記章の類は詳しく研究されているが、こと制服についてはまとまった資料が未だ存在しない。
私自身、モスクワの友人が収集した文献を読ませてもらいながらの「耳学問」なので将来大幅な修正が必要となるかもしれないが、まあコレクション紹介程度に割り引いていただきたい。



штурмовка(突撃服?)と呼ばれる略服である。戦前のメーデー行進でコムソモール員が着用していることで有名。鍔を含め全布製の帽子、シンプルなサムブラウンベルトと組み合わせる。写真のコムソモール章は旧式でまだ"КИМ":国際共産青年同盟と表記してある。



専従職員の襟章。縁取りが銀なのが特徴である。写真は航空指導員だが本来はさらに「複葉機」または「単葉機」のエンブレムがつく。一般職員は歯車をモチーフにした特殊なエンブレムを使用するが未だイラストか写真以外お目にかかったことがない。台座の色は専門分野によって異なる。暗青色:騎兵、ラズベリー:射撃教官等々。階級を示す星章は時期によって写真の赤星から銀のシンプルな星へと変わっていく。



さて、この制帽がよく判らない。帝政期の制帽のように3箇所にパイピングが入るところは民間防衛用と一致するが「赤」の兵科色に該当するものが(存在するかさえ)よく判らないのだ。とりあえず実物の帽章を写しておきたいのでここで紹介する次第。



ОСОАВИАХИМ発行の記章、認定証の類。ご多分に漏れず私も各種記章・勲章を収集しているがきりがないのでこれまで省略してきた。まあ今回はネタが少ないので「山の賑わい」にはなるであろう。デザインで一目瞭然だが馬術、体力検定、衛生、射撃、空挺、防空防毒と各種存在する。ダイヤモンド型のアクチビスト章も存在するのだが(ブジョンヌイ元帥が着用していることで有名)ぼやぼやしているうちにモスクワでの価格が急騰、いまやとても手が出ないのがまことに残念である。
余談だがこれらの記章は(戦争初期まで)軍服への着用が許されており、コスプレ派には非常に重宝する。もっとも今や価格急騰、そうも言っていられないかも知れないが。
(2006/8/9)
  

Posted by Yakov at 20:17Comments(0)

2016年07月29日

再録33・民警3

 多くの「ソ連軍服マニア」諸氏にとって、民警と言えば例の69年式グレー制服を思い起こされることだろう。だが、素直にそうは行かないのがこのサイト、今回は65年改定の制服である。
とはいえ69年にはもう全面改訂されることになる短命制服、そうそうゴロゴロ転がっているわけではない。そんなわけで紹介する服も常勤と外出/礼服の2着だけだ。



民警中尉の常勤服。肩章の青さが目に痛い嫌な配色だが、検事局の肩章のベース色とよく似ている。常勤襟章に縁がない、というのは同時代の軍服と同様。もっとも軍の69年改定で常勤服にも縁付き襟章が導入された(准尉・勤務延長下士官除く)にもかかわらず、民警ではこのシステムがずっと踏襲される訳だが。ちなみにこの服にはグレーのシャツを合わせるのだが58年のライトブルー、69年のブルーグレーのいずれとも異なった色合いで入手は困難であろう。幸いアエロフロートの常勤シャツが同色なので助かったが。



外出/礼服は正直記章が違うだけだが、襟章の縁が銀色であるなど苦労のしどころは山ほどある。肩章は軍の准尉用(及び勤務延長下士官)に似た織のものだが民警には准尉も勤務延長下士官も存在しない(ロシア連邦になってようやく准尉が導入されたが。勤務延長については民警=徴兵ではないので当然だ)。これが下級民警の礼装用肩章のデフォルトになる。(追記:上記用と思しきウール生地のものも存在する)
いずれにせよ赤い織肩章で紺色裏地のものをもし見かけたら、相当の貴重品だ。即購入をお勧めする。



69年式制帽2種とともに65年制帽の画像を貼っておく。銀色の縁飾り付き帽章、銀の顎紐など特徴の多い制帽である。
69年式に進む前に、肩章導入前の制服(パーツのみ、というのも多いが)を紹介していく。最低でも2~3章は設けねばなるまい…。
(2006/8/8)
  

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2016年07月29日

再録32・民警2

 前回の補足でちょっと画像を足しておこう。



紺色のгимнастерка(折り襟も立ち襟も同一名称なので日本ではルバシカと表記する場合が多い)は綿製で1943,1947年式とも殆ど同じである(指揮官用はウール製)。写真では兵用1943年式の肩章がついているので、この場合正確には銀色の槌鎌ボタン(星型を欠く)がつくのだが付け替えるのが面倒だったので(解像度低いし)お許し願いたい。全くの同裁断で白服もあるが、NKVDの夏服も同型なので「コスプレ派」としては非常にありがたいアイテムである(これは夏用白綿кительについても言える)。肩章に書かれたステンシルは所属(ここでは第一部局)を示す。



1947年式曹長の礼服。士官になると内務軍のパレード服によく似た襟章・袖章が付くのだが現物は多分手放してしまったので画像は略(ひょとすると家のどこかに埋まっているかもしれないが)。ベルトは茶革で国章の入ったバックルが特徴。曹長用の場合ベルトにミシンステッチが入るのは軍隊と同じである。



1958年になるとパイピングの省かれたものが登場するが、そろそろこのタイプの制服も最期のときを迎える。1965年には開襟型制服が全階級で採用されるのだ(これは項を改めて)。
(2006/8/7)  

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2016年07月29日

再録31・民間防衛(ГО)

 リクエストがあったので民間防衛で使用された「お仕着せ)の作業服を紹介しよう。これの前身ともいえる(戦前戦後の)ОСОАВИАХИМの紹介は回を改めることにして80年代のものを簡単に紹介する。гражданская оборонаを略してгроб(墓穴)と揶揄されていた頃の装備である。





防風フードがついたウィンドブレーカーの前・後面。普通の作業着のようであるがソ連を甘く見てはいけない。学生建設隊員の作業服などでさえ、これまた違ったデザインなのだ。胸についたパッチは塗料による印刷だが、日本市場ではビニールプリントのもののほうばかりを目にする。



ズボンもこれといって特徴がないようだが正体不明のポケットがいくつか。
ロシアになってからは非常事態省との統合・独立組織化を何度か繰り返しているが、現在はまた非常事態省の一部として存続している。これらはモスクワの友人が大量に見つけてきた品でアルミ製の食器・カップ(刻印入り)赤十字腕章、救急キット、講習用のスライドプロジェクター等も同時に購入したがまだすべての荷物が届いたわけではないので今回は省く。



50年代の山岳パーカーで旅行者協会の備品か民間防衛隊の備品、はたまた民間用かまだ不明である。同じ友人が「民間人モブシーン」用の衣装としてモスフィルムに納入したものの余りらしい。
(2006/8/6)  

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2016年07月29日

再録30・内務軍1934-37

 唐突だが、ちょっと時代をさかのぼってみたい。一般性のかけらもない話で恐縮だが、1990年代前半にソビエト軍装蒐集を始めた日本人にとってНКВД(内務人民委員部)の制服といえば1939年以降のものをさし、それ以前の制服については殆ど知られぬままであった。90年代も終わりになるとロシアの軍装研究雑誌に少しずつ紹介が始まり、ついに昨年フルカラー印刷の研究書が出版されるに至った。数年前から地道に集めてきたコレクションにようやくまっとうな解説が付けられるというものである。
 エジョフが内務人民委員であった1934-37年はソ連全土を覆ったスターリン粛清の第一の波ともいえる時期であるが、その歴史的分析や解説は私の任ではない。今回紹介するのはその時期の(内務軍及び国境警備隊)航空制服である。



紺色の防水コートは1935年に一般の内務軍部隊(保安隊員含む)に支給された灰緑色コートの色違いである。当時のボタンは星と槌鎌が彫刻された平坦な金属製であったが、写真のものは軍用に準ずる形状のものがついている。襟章は1936年改正型で国境警備隊の「中尉」(軍では大尉~少佐相当官)。
(補足)1935年型も階級システムは同様だが襟章には階級を示す星が付かず、高級・中上級・下級勤務員を区別する織り紐のみ付く。1939年からは陸軍式の七宝階級章に変わりマニア的には蒐集が楽に(当社比)なるのだが。



内務軍のカーキ色戦闘服。次に紹介する紺色のバージョン違い。階級は同じく「中尉」。銀色のパイピングは1939年にラズベリー色に変わる。ボタンは軍用タイプがそのまま使用されている。



紺色バージョン。これは1934年式看守服(?)に記章を付け替えたコスプレ仕様である。解像度が低くて申し訳ないが、これに使用されているボタンが正規の専用平ボタンである。



略帽と研究書。赤星の台座が暗赤色のものが内務軍、緑のものが国境警備隊。これら略帽は1939年の改定後も引き続き使用された。
制帽も使用されていたがこれには特別な記章が付かず、通常勤務員用と同じものであった。
(2006/8/4)


  

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2016年07月29日

再録29・税関職員2

 1997年改定制服の続きである。



最初はブルゾン型の略式勤務服で、ポケットの微妙な違いやカフスボタンの数を除けば比較的軍の略服に近い裁断である。ただし金ボタンは軍の物と違い国章の縁取りがより深く彫刻され、他にないデザインなのだ。Yシャツも裁断は微妙に軍と異なり、プラのボタンさえ材質が違うといのは正直(経費の点で)いかがなものか。



続いて上級職員のダブルブレストタイプ礼装・勤務服。ネクタイ2種を一緒に写したが、ストライプのタイプは中々洒落ているものの民間用で代用が効かないのがつらい。



最後は肩章の1例である。同時期で色が違うものは主にシャツ(常勤・礼装の2種)、制服用等使用目的による。ほとんど説明は不要と思われるが手前のチップ模様の入ったものが1997年タイプ。同じく暗青緑の将官クラスで星がシンプルな刺繍になったものも97年型だが、これら将官用について言えば、86年、91年型ともにかなりのバリエーションがある。入手先が特殊なところであるため試作品が混じっている可能性も否定できない。
本当はもっと面白いバッジ類もあるのだがいろいろ差し障りがあるもので(ネット上では)非公開ということで。
 将官クラスについて補足。他の公務員に準じて襟や帽章周りに金刺繍のオーナメントが付くのだがこれらは軍の物とまったく同一である。また、将官の帽章は上級勤務員以下のものとまったく異なり、軍の将軍用をそのまま使用しているのも面白い。
(追記)実は将軍用と思しい服を一着所有しているのだが、これはどうも試作品らしく前述の情報とはかなり矛盾したもの。襟に(陸軍の)将軍パレード用に類した金刺繍、ボタン・帽章は一般用という珍妙な品である。出所がはっきりしているだけに今後調査していきたいのだが。
(2006/8/3)  

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2016年07月29日

再録28・税関職員1

 メジャーな(当社比)テーマはそう何回も続かない。今回はまた地味なジャンルに戻り「税関」である。ソ連時代から今に至るまで、カバンをX線にかけられるだけでつい(意味もなく)びくびくしてしまうものだが、最近は外貨申告に重点が置かれているのか昔ほど時間は取られなくなってきた(運の悪い人は除く)。いずれにせよ空港には待ち時間がつきもの、暇にまかせてつい税関員を観察してしまうのだ。
さて、1952年、1972年いずれの改定でも階級章はすべて襟章式であった。システムは当時の主な公務員に準じ、台座のみ緑ビロード緑パイピングというのが特徴である。パーツのみで肝心の制服が入手できていないのでここはあっさり飛ばし、1986年改定・肩章導入時の物から紹介する。



写真は上級勤務員で襟に金属のオーナメントが付くのが特徴。シングルブレストとダブルブレストがあるが中級=シングル、上級=ダブル、というわけでもないようだ。礼服/常勤の違い、という可能性もあるが資料的裏づけはない。



続いて91年のマイナーチェンジ後の中級勤務員制服。肩章の台座がビロードからウールに変わり(経費削減が目的か)印象がかなり変わった。ただし記章・制服は基本的に同じ物を使っているため単に少々みすぼらしくなっただけ、の感があるが。この頃伝統的なメルクーリの杖をあしらったボタンが導入されたが旧ボタンも以後長く(1997年の全面改定まで)使用されていた。



1997年制服についてはかなりの量があるので基本的に次回(例によって間が空くかもしれないが)に回すが、ページ配分の都合で勤務・外出服の画像を貼っておく。帝政の士官軍服を思わせる青緑色が特徴だが、他の組織の制服すべてとトーンはまったく異なる。



制帽は下から91年式、86年式、97年式。97年式の顎紐も他に類を見ない特殊な造りである。
(2006/8/2)



  

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2016年07月29日

再録27・ドンコサック

 民警の項目で少し触れたついでにドンコサックについても紹介しておこう。ただし、今回はソ連軍軍服が肩章スタイルになる前、1936年式についてであるが。



最初はドンコサック独自の太線入りズボンである。写真のものは明らかに1960年以降の生地で出来ておりドンコサック合唱団あたりの衣装の可能性もあるが、帝政から引き継がれるшароварыタイプの特徴を正確に示している。通常のブリーチタイプの乗馬ズボンと違いゆったりとした長ズボンの裾をブーツに入れるスタイルである。ただし兵・下士官の官給品は通常タイプの乗馬ズボンに赤線を加えたスタイルであり、すべてこのタイプを着用していた訳ではない。



казакинと呼ばれる詰襟服で礼装・常勤装備である。ベルト等の装具は通常の騎兵用で(兵用のYサスペンダーなど特徴は多い)クバンやテレクコサックと異なりカフカス式ベルトは通常使用しない。
写真は旧タイプ(40年まで)の袖章をつけた大尉で40年式の騎兵兵科章が付いているが購入時よりこうなっていたので仕方がない(無理に外すとピンが折れるのだ)。



同じく野戦用。常勤用と近いスタイルで(クバン等の裁断により近いが)で「山岳民族騎兵部隊」用野戦服とは裁断が異なる。劇場か映画会社で描かれたと思しいステンシル兵科章が付いているが(面白いので)そのままにしておく。



制帽およびバシュリーク。いずれ撮影しなくてはならないのでまとめて写したが、上がドンコサック用、下が一般騎兵用。クバンやテレクコサックは通常クバンカ(毛皮帽)を身に着けるが、制帽着用時は通常の騎兵用を使用することになる。以前にも紹介したバシュリークだが、下から帝政タイプ、テレク用、クバン用、ドンコサック用である。規定上は指揮官用の場合暗色の縁取りが金線になる。
ドンコサックはパパーハ(毛皮帽)も使用するが今回図版は省略した(いや、虫食いが…)。
例によって続編は気が向いた時にでも…。
(2006/8/1)
  

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