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Yakov

2008年09月30日

当番バッジ(2)

 今日は気楽に国境警備隊ネタ。説明だけは細かくなるが、まあ「いろいろあるんだ」とこの趣味の地獄性などを察していただければ。

国境警備隊の当番バッジはともかく種類が多い。
右上が検問所、左上が食堂、下が哨所の当直バッジである。

続いて上が中隊の当直、左下が医療助手(包帯所の当番)、右下が司令部の(警備)当番である。とりあえず国境警備隊の各兵科共通らしいので海上部隊でも航空隊でも当番兵はこれを付けるわけだ。
・・・これ以外にも「風呂」番(番台みたいだが)ほか何種類か知られている。厠番長・・・というのもあれば面白いのだが、さすがにそれは見た事がない。

・・・この項は結構続くと思う。  
タグ :記章保安

Posted by Yakov at 17:56Comments(0)

2008年09月29日

当番バッジ(1)

 またもアバウトな表題だが・・・。これまでにも(旧ブログで)各種公的機関の職責バッジ等は紹介してきたのだが軍・保安系機関のものを中心にちょっとまとめておきたい。決してどれを紹介したか忘れてしまったわけではない(<語るに落ちてる)。

左は軍パトロール隊の当番バッジ。コメンダント・・・まあ憲兵と訳してもいいかもしれない。街中で見る連中は外出する兵士を呼び止めて書類点検+服装点検するのが主任務だが(服装点検は点数ノルマが厳しいときには難癖付けと化す。世界共通と思うが)、ソ連末期には民警と合同で市中警備も行なっていたのだ。ソ連時代のコメンダントは(陸海軍でちょっと違うが)制服自体もかなり優良で目立つ特別なものを着用していた。
右はヴァイーと略される軍の交通憲兵(軍用車を取り締まる軍自動車管理局:ガイーの軍隊版)バッジである。

バッジではないがここでついでに。現ロシアのコメンダントは服にこのようなパッチが着くだけで(当番バッジのデザインは未確認)特に変わった服は着ていない。

内務省軍の警備班指揮官章。もちろん小編成の長、なので位置づけとしては当番バッジに近い。

これはKGB(国境警備隊は別のデザイン)警護部隊の当直章。いろいろなものが出回る世の中である(ま、筆者のような「需要」があるからだが)。  
タグ :記章保安

Posted by Yakov at 18:08Comments(0)

2008年09月28日

連邦保安局(2)

本日はとある野外イベントに出かけており以下略。・・・と言い訳にもますます誠意がこもらなくなった秋の一日。今回は有名どころの部隊マークなど。

ソ連時代から存在するアルファチーム。これはサブデュードパッチだが、フルカラーのものにはロイヤルブルーベースのものと臙脂色ベースのものとが存在する。このデザイン自体はソ連時代から存在するのだがなにぶんソ連制服にこのパッチをつけて写っている写真を見ないので生産時期は不明である。かなり大きいサイズなのでいざ服につけようとすると位置決めに苦労すると思う。

最近生産されたアルファチームのパッチ。もっともアルファグループ、対テロセンター等いくつかのセクション別なのだろうか、デザイン自体が異なる8種類以上のパッチが知られているので非常にややこしい(多分もっと多いであろう・・・)。さらにアルファ退役者が作っている親睦団体や警備会社まで入れるととんでもない数になってしまうのだ。まあここらはそのうちゆっくりと。

ソ連時代のKGB保安・警護要員の兵・下士官はこのタイプを、クレムリン警備隊の特別儀杖兵はこれに金コイル刺繍で縁取ったものをつけていたわけだが、ロシアのフォーラムに常連投稿者による80年代中頃の回想が載っていた。それによると・・・

劇場でこのパッチをつけていた集団(灰色の将校礼装コートを着用)に気付いて母親に「ママ、どうしてあの人たち歩兵なのに赤じゃなくて青い記章をつけてるの?」と尋ねたところ、それを聞きとめた中の一人が近づいてきて、「坊主、歩兵というのは正しくは機械化ライフル部隊というんだ。それにこの色は青でなく「ヴァシリコーヴィ」(ロイヤルブルー)だよ。・・・それに、あまりそういうことを大きな声で言うもんじゃないよ・・・」なんとなくこのガタイのいい将校コートを着たグループがただの儀杖兵とかではなかった様に思われるのだが・・・。  
タグ :保安記章

Posted by Yakov at 20:55Comments(0)

2008年09月27日

小型拳銃ホルスター(4)

 ちょっとバタバタしているものでまたも手抜き更新。


まあ前回紹介した簡略ホルスターの革製品、という感じだが。こちらの場合はマガジンポケットもついている。購入時はコロヴィン(TK) のものかと思っていたがサイズ的にPSMと思われる(ソ連製マニュアルは売るほど持っているのでその辺は信用していただきたい)。デザインからして東独あたりの(PP系・・・駄洒落ではない)ものかとも思ったが明らかにソ連製な上にやはり厚みが薄いのだ。


私服用だろうか、サイズ的にPSMのものらしいが・・・。どうも手製くさい感じはするのだが、縫製の状態、スナップのつき具合からしてやはり工場生産品であろう。資料的裏づけがあればいいのだが警察や保安系はどうにもブラックボックスが多すぎる。  
タグ :装備品

Posted by Yakov at 18:41Comments(0)

2008年09月26日

小型拳銃ホルスター(3)

 今回はPSMホルスターについて。とりあえず有名なところから始めよう。
PSMといえば高級将校の自衛拳銃として有名だが、小口径ゆえに意外に貫通力が強く、現在でも治安機関や特殊作戦に重宝されている。



 一番有名な80年代のロット。スナップ止めのフラップ、変わった位置につくマガジンポケットなど特徴的なデザインだ。合成皮革のような光沢だが、裏を見ると薄手の本革製なのがわかる。


 このようなスマートなデザインのものもある。フラップはスナップ止めでなんとはなしに華奢な印象がある。

・・・次回はPSMホルスターの変り種を。  
タグ :装備品将官

Posted by Yakov at 16:52Comments(0)

2008年09月25日

小型拳銃ホルスター(2)

 皆さんがおそらく表題から想定されたと思われるPSMの話は次回以降。今回は指揮官用ナガン(短縮型)のホルスター、ということでまたも明後日の方向に進むのである。

実物の写真はググっていただくとして(ロシアのサイトくらいでしか見つけられないかもしれない)某所で購入したキャストモデル(右)と筆者がグリップと銃身を切り詰めた短縮モデル(左)。ロシアの雑誌の記事に基づいたサイズである。照星が低かったり(標準型での)照門付近の突起がストレートだったり、結構改造部分が多くて難儀した。

これが指揮官用ナガンのホルスター。五千丁には及ばない数が生産されただけでかなりの部分が治安機関(主に私服)に採用されたというがこうしたホルスターも少数存在したわけである。

内部の予備弾ポケット。この部分だけ見ると通常版(肩掛けベルトの初期型)と比較しても大きさがわかりにくいが・・・。

裏面。全体を比較するとかなり小型であることがわかる。・・・だからどうした、とか言わないように。  
タグ :装備品野戦

Posted by Yakov at 17:53Comments(0)

2008年09月24日

小型拳銃ホルスター(1)

 なにしろ「皆様のご期待の斜め下」と銘打っているブログである。どちらかというと誰の役にも立たないネタ・6.35ミリ口径コロヴィン拳銃のホルスターからはじめよう。

本物の写真はググれば出てくると思うので以前モスクワで買ってきたライターの写真でも。本物を見ながら作ったのだろう、これでいて(結構)正確な形をしているのだ。


将官および航空兵に愛用された拳銃らしく上着の下から覗く内装用のホルスター。吊り具がギボシで止められているのが面白い。


このようなタイプは高級将校の常勤用として使われた。本来斜めについていたベルト通しは正規の位置からずらして取り替えられている例が多い・・・というか取り替えられたものしか見たことがない(コロヴィンホルスター自体は時々出回るのだが)。  
タグ :装備品

Posted by Yakov at 17:46Comments(0)

2008年09月23日

潜水艦クルスク

 今日がお彼岸だから、というふざけた理由ではないのだが2000年8月に沈没したクルスクの話でも。

右側がクルスク進水時に定められた艦の紋章。ちなみにクルスクは一度全乗員の入れ替えを行なっているため存命中の元乗員はそれなりの人数がいるわけだ(もちろんこのバッジは当時作った工場が事故後に再生産したものだと思うが)。
左のバッジはちょっと特殊でロシアの潜水艦乗員のグループ有志が当時就航している潜水艦の艦名を入れてシリーズで注文した記念バッジである。私が購入した1998年頃にはもちろん誰も来るべき未来は予想だにしていなかった。確か20種類弱のセットだったと思う。

このように非常に凝った作りだ。


これは事故後に作られた追悼バッジ。追悼式に参列した人間に配られたものとノルウェーなど引き上げに協力した人間に授与されたもの、募金バッジなどである(どれがどれか、とかは聞かないでいただきたい)。

ミリショーで早々に売り飛ばしてしまって手元にないのだが(苦笑)このような刺繍の艦名ワッペンも存在した。右腕に着用する記章であるが乗員の遺品を見てもつけている人間とつけていない人間がいるようだ。

余談だが、1998年に「ソビエト代議員協会」という自主組織が制定した「クルスク戦闘55周年記念メダル」というのがある。同じ名称ということでクルスク艦長以下何人かに授与されたものだが、モスクワの軍中央博物館に展示してある艦長の遺品にはきちんとこのメダルが輝いていた(勤務時の写真からも常時着用していたことがわかる)。ソ連時代だと非公式記章は軍服には着用しない、というのが鉄則だが、ロシアにおいては必ずしもこの限りでないことをご記憶願いたい。  
タグ :記章海軍

Posted by Yakov at 18:03Comments(0)

2008年09月22日

連邦保安局(1)

 旧ブログで連邦警護局を取り上げたのでその辺被らないようにしつつ。まあ地味~に(しかも休み休み)連載することになると思う。

 92~93年頃にはまだこのような名称であった。ロシア保安省・・・という名称はそれまで汎用されてきた「国家」という単語がロシアに変わっただけのようだが。

この名前のほうがお馴染みであろう連邦保安局のパッチ。「省」の名称が取れて組織が小さくなったのかどうかはよく判らない(笑)。まあ90年代は連邦国境警備局、連邦護衛局、連邦諜報局等々と組織分割された時代ではあるのだが、結局各部局が「省」の規模に肥大したような気もする(予算を分析したわけではないが)。これらのパッチは黒地が正式のものらしいが、PXでベース色が違うものを購入してつける人間も相変わらず多い。ロイヤルブルー(ヴァシリコーヴィ)の物はやはり好まれるのだろう。
 
 一番右は2005年ごろ採用された新型記章で、黒服(正しくは濃紺)の新制服が一向に普及しない中、パッチだけ先行して(旧)制服につけられた。こういう規格変更は軍の場合恐ろしくゆっくり・・・というのが通例だが、保安局系はさすがに即応体制・・・という感じでかなり早々に入れ替わってしまった。
ま、黒服の導入のほうは大いに遅れ、国際空港の警備隊員でさえ2007年11月ごろまで皆無だったりしたのだが。
左の2枚は正確な導入時期がわからない。ひょっとすると左端は(兵科章よろしく)右腕についたのかもしれない。  

Posted by Yakov at 17:17Comments(0)

2008年09月21日

特別栄誉部隊記章(4)

 この項まだ途中だったが、とりあえずこれで一区切り。

ロシア時代の特別栄誉部隊(陸軍)兵用肩章と襟章。ちなみに海軍肩章は白縁、空軍は水色縁(現物も持っていたはずだが例によってすぐには出てこない)。
ВСの文字は陸海空軍共通であるが、一般兵用がブロック体であるのに対し、特別栄誉部隊の文字はスラブの旧字体を思わせるデザインになっている。
襟章の柏葉(下圭樹の葉だが)は陸・空軍制服で通常兵科章がつく位置に直接ぶち込む(海軍の場合は錨)。
(追記)よく見たら襟章がどちらも左襟用であった。ちゃんと左右対称のが一組なので誤解なきよう)

袖章にはこのような金コイル刺繍の縁取りが入る。この例は94年式のポリ塩化ビニールバージョンがベースだが、初期型絹織り出し模様の国家章が元になったものもよく見かける。95年の規定では左腕にこの記章、右腕に一般兵科章(陸海空軍それぞれ)がつくことになっているが、初期には両袖に国家章ワッペンが付いた服、左手の国家ワッペンだけの服も確認できる。

画像もないのに細かい話で恐縮だが海軍儀杖兵の将校は通常のダブル服を着用するにもかかわらず兵は沿岸防衛および海軍歩兵型の4つポケ黒服を着る等異常に複雑である。それでいて礼装ベルトはソ連将校織ベルトをほとんど20世紀一杯使っていたのである(その後やっとロシア仕様のバックルを作ったらしい)。  
タグ :礼装記章

Posted by Yakov at 17:48Comments(0)

2008年09月20日

海外支援服

 旧ブログでも頻繁に取り上げた海外派遣ネタとは似て非なる項目である。これまで取り上げたのは大体が国連や駐在武官など「公式」のものだったのだが、今回は「非公式の」海外援助ネタなのである。アメリカのイラン・コントラゲートを例に引くまでもなく、東西両陣営の第三世界への軍事援助の多くはスキャンダルになりかねない非常にデリケートなジャンルである(<ルー大芝のような日本語になって申し訳ない)。
要するに武器の製造番号を消す、ような作業が必要になってくるわけで「特徴のない」軍服が作られたのである。


見る人が見れば材質でソ連製とわかる気もするが、ともかく何の変哲もない無印X品の「熱帯軍服」である。ズボンと上着の生地が違うがこれ以外にも正規の将校海外派遣服にも使われたようなカーキグリーンの上質綿もあったりして援助先の国や階級によって使い分けていたのかもしれない。・・・まあアバウトな国なので「適当に支給」と「使い分けた」可能性は五分五分というところか。
上着はモンゴルあたりの戦闘服にちょっと似ているが裁断は結構違う。

ズボンのほうは1949年から69年規定まで(多少変化しつつ)製造されてきた短靴用熱帯ズボンの裁断に近い。

服にはスタンプなどないのはもちろんだが(48-IIIなどのサイズ表記が布タグでつくのみ)、ボタンも東ドイツや学生ボタン(まあ微妙に違うのだが)を思わせる梨地模様になっている。
ベルトにつけるバックルのご覧の通りつるつるだ。時々のっぺらぼうなボタンの付いたパナーマが出回ることがあるのだが、それもこのような海外援助物資の可能性がある。

これらの服は中南米やアフリカ諸国で着用されている写真を時々見かけるがアップの写真はほとんどないのが残念である。  
タグ :海外野戦

Posted by Yakov at 18:23Comments(4)

2008年09月19日

海軍ホルスター(2)

 本日所用につき以下略(<誠意がない言い訳)。戦後編、とはいってもPSMを使用しているという話は聞かないので自然とマカロフホルスターの話に落ち着いてしまうのだが。

戦前から使用されていたシングルピンの銀色バックルベルトだが、これは69年規定では陸軍式金バックルのついた黒ベルトに替わっている(63年導入の海軍歩兵将校にもこの新ベルトが使用されているのでおそらく導入はその時期だろう)。バックルが金色となったために(旧装備では銀色だった)金具が全て金色に置き換わったのがこのホルスターである。もっともその金具には3種類あって真鍮製のもの、銀色バックルにクリヤーイエローの塗料を塗ったもの(右)真鍮バックルにさらに金メッキをかけたもの(左)である。左のものは「将軍用」とバイヤーに呼ばれているのだが、案外PXで高値で売られている「高級バージョン」なのかもしれない。ちなみに写真で判るように、ランヤードの金具まで綺麗に金メッキがかかっているのだ。

あまりきれいな状態ではないが銀色金具のマカロフホルスターも存在する。50年代前半導入のマカロフホルスターが58年規定のシングルピンベルトにつくときは当然このタイプであったのだろう。後にこの金具にクリヤーイエローを塗りたくった暫定「新型」が生産された、と考えるとしっくりくる。

・・・99%の読者の方にはどうでもよい話だと思うが、55年規定書のイラストで海軍将校がつけている陸軍式ベルトは単なる画家のミスである(笑)。  
タグ :装備品海軍

Posted by Yakov at 18:00Comments(6)

2008年09月18日

海軍ホルスター(1)

 本日来客につき以下略。唐突な感もあるがソ連海軍の吊下げホルスターについて。

戦前のナガン用ホルスター。海軍独特(航空兵の一部も茶革のものを使用したが)の吊下げホルスターはもともとキーテェリ(上着)の下に着用して裾から本体のみ出すデザインである。陸軍式のナガンホルスターではフラップ真下にある弾薬ポケット(7+7発収納)がベルト通しに移されている。上着の下に着用していると弾薬交換が恐ろしく煩雑になるのだが・・・。
もちろん上着の上にベルトを巻けば(当時の海軍歩兵などでよく見られる)無問題なのだがそれはそれで「ぶらぶらして邪魔になるのが痛いところである。
ちなみにホルスターを通すベルトはシングルピンのオープンバックルタイプ。写真のものは1943年製である。

同じくトカレフ用。これは陸軍式同様マガジンポケットがついているので使い勝手は変わらない。

これらの他にナガン・トカレフ兼用のものもあるが現物がすぐに出てこないので写真は後日。
次回は戦後のものを。  
タグ :装備品海軍

Posted by Yakov at 19:50Comments(0)

2008年09月17日

空挺隊給水装備

 何というか大仰な表題だが、こうとしか言いようがないので仕方ない(笑)。旧ブログに載せた時は詳細が不明だった上に画像も小さかったので改めて掲載する次第である。


水枕にしか見えないが、アフガン戦で汎用された空挺隊の正式装備РДВ-12である。まあ「空挺水保管袋」という身も蓋もない名称なのだが。12リットルの水が入り、リュックサックのように背負って運ぶタイプである。
山岳・砂漠地帯では水の使用管理は下士官クラス(分隊長や衛生員)が行なうわけだが、通常装備+水タンクというのは運搬員にとってたまったものではない。
とりあえず背負い部分にクッションはついているのだが余りユーザーフレンドリーとは思えない構造だ。
人間工学? 何それ。

水の飲み口。麻紐でくくりつけた栓が面白い。

水補給口の締め具。・・・まあこんなものをアップで示したからといって自作するマニアなどいないと思うが。何しろ飲料水を入れるわけだし・・・(笑)。  

Posted by Yakov at 16:47Comments(4)

2008年09月16日

特別栄誉部隊記章(3)

 本日も地味に記章ネタ。

ソ連海軍の特別栄誉部隊の袖章2種。絹糸と金コイル刺繍があるわけだが、単純に将校用と兵用、というわけではない。これらは1971年に制定されたパッチな訳だが、73年からはパトロール隊(憲兵)も同様のパッチを使用しているのだ。
(写真が間に合わなかったが)ポリ塩化ビニールのバージョンまであるわけで、正確には「儀杖兵規格」という他ない。

これが兵用儀杖服なのだが上は間違いなく規定どおりである。しかし下の服には(服自体は同一規格:将官黒生地のブルゾンなのだが)まったく別の記章が付いている。これはどうやら個々の部隊の儀杖兵らしいのだが・・・。
「特別栄誉部隊」:РПКというのは言葉どおり「中隊」規模な訳で、そうそう人数が居るわけではないのだ。
部隊所属の儀杖服は記章を見る限りグレードがかなり落ちる。ちなみに赤ビニールのパッチは規定上「その他の防護・補給・サービス専門章」というアバウトな呼び名になっている。まあパレード専門なのだから「サービス業」には違いない。

肩章のアップ。コイル刺繍と金属章ぶち込みの差は大きい(手間が、だが)。

現ロシアもあるのでもう一回この項続くが、次回あたりは(順番を変えて)装備品ネタでもやってみようと思う。  
タグ :礼装記章

Posted by Yakov at 18:11Comments(0)

2008年09月15日

特別栄誉部隊記章(2)

 記章ネタに戻って淡々と続けるのである。

陸・空軍の71年式特別栄誉部隊将校用の袖章(両袖につく)。陸軍兵用の装備はほぼ一式揃ってはいるのだが将校用は軍楽隊同様に生地が大佐用であったり袖口に金刺繍が入り、(時々だが)胸章まで金刺繍のものがあるなど恐ろしく面倒くさい。ロシアの複製業者もさすがにこんなものまで作っていられないようでごくごくたまに実物が出回るほかは市場で見ることはない。

これがその兵用記章。袖章には金コイル刺繍の縁取りがないのがわかる。ちなみに肩章には金属製のСА文字が入るのが普通だが・・・。92年ごろの移行期仕様なのかも知れない。1971年の規定図には兵用袖章は描かれていないが、その後(年代不明)導入されたものであろう。

旧ブログにも載せたが兵用制帽の記章アップ。将校用も帽体バッジのデザインは同じだが、たまに金コイル刺繍がついているらしき映像を見かける。  
タグ :礼装記章

Posted by Yakov at 16:45Comments(0)

2008年09月14日

将官ベルト

 某氏からのリクエストで将官用ベルトについて紹介する。まあそれほどネタが豊富、というわけでもないのだが。

1940年式の将官ベルトバックルのアップ。35将校ベルトとよく似たデザインだが、裏がフック式になっているところ(35はギボシによる固定)が大きく異なる。43年に銀糸織物ベルトが採用されるまで礼装・常勤ベルトとして使用され、野戦用には将校用と同じ装備ベルトが使われていた。もっとも55,58,59年規定では常勤兼野戦ベルトとして使用されるようになったのだが。

バックル裏に当て革がしてあるところが高級感を醸し出している。

1969年式の将官バックル2種。金色の常勤用、カーキ塗装の野戦用が存在する。上の常勤用には金メッキがしっかり掛かっているはずだが画像のものは真鍮の地肌が見えてしまっている。

制定年は定かではないがやはり69年ごろの制定と思われる海軍ベルト。
これまた真鍮の地肌が見えている。
このベルトが使用される状況としては紺色の詰襟キーテェリ服くらいしか思いつかないが(唯一規定本に解説図が載っているのだ)、海軍歩兵の将官が黒野戦服と組み合わせることも考えられる。まあ旅団長が黒服を着るなんて時は実質、式典か(特殊な)閲兵の時位のような気もするが。  
タグ :装備品将官

Posted by Yakov at 16:58Comments(7)

2008年09月13日

見本市・安全2008(2)

 前回書き忘れたが見本市の名称はКомплексная безопасность - 2008
というものであった。実はМЧС:非常事態省の消防博物館長に招待券をもらったのだが前日に落ち合えず、結局自費で入ったという「ロシアにはよくある」くそみそな結果になってしまった・・・とはいえ、たっぷり楽しんだのでそれなりに元は取れた気がする。
国営企業の内務省警備会社やら民警の広報雑誌(「パトロール民警の一日」みたいなヤラセ記録映画のDVDとか売っていた)、保安用品(含む武器)、パトカーや白バイ・・・という展示品はいわずもがな、民警士官学校のうら若いお姉ちゃんが「説明員+暇つぶし見学」で会場をぶらぶらしているので下手なキャンペーンガールを見るよりよっぽど目の保養になる(<オヤジくさい)。

会場の一角に帝政ロシアや外国の消防ヘルが並んでいた(なぜか野ざらしであったが)。あ、どこかで見たような奴が・・・。



はっはっはっ・・・このような展示があるから堪えられない。新規導入の非常事態省職員の制服展示である。民警のような帽章が導入されたりオレンジ色のパイピングが導入されたり・・・。ロシアの某軍装掲示板で話題になってはいたのだが、実物を見ると闘志がわいてくる(爆)。
・・・こうしてまた地獄のコレクション探索が始まっていくのである。ていうか賽の河原?  

Posted by Yakov at 17:35Comments(0)

2008年09月12日

見本市・安全2008(1)

 旧ブログも普通に更新しているのだから無理にこっちまで更新する必要もないのだが・・・。
でもまあ写真がバカスカ貼れて楽しいのでまた更新(<子供か?)。
同じくブログ容量が不安で写真がろくに貼れなかった見本市の補足。

ラダ・ニーバが元になっているオフロード救急車だが・・・。アメリカ人か、お前は!とつっ込みたくなってしまう。まあ旧ソ連全域の道路事情から言ってこれぐらいやらないとダメなところもありそうだが。

戦勝パレードでお馴染み、ロシア版ハマーの民間(非軍事官庁)販売型。
ロシア人は「我々のハマーへの回答(笑)」と呼んでいた。なぜ(笑)かというと・・・。ロシア革命後の軍事パレードで国産戦車に「我々のチェンバレンへの回答」とスローガンを書き込んだことがあったからである。戦間期、ソ連最大の敵といえば英国だったというお話(当時アメリカは比較的親ソだったのだ)。

ちょうどこの頃はグルジアのイスラエル製無人偵察機が南オセチアで撃墜されたことなどがあり、「アレのロシア版」と呼ばれていた。それから2ヵ月後あの状態になった訳で・・・。この偵察機にサカシビリの頭の中を覗ける機能があればよかったのだが。

当然航空機も展示されている。私は制服マニアなので非常事態省航空班員が空軍型革ジャンパーを着ているのに気付いただけでおなか一杯である。  

Posted by Yakov at 23:37Comments(2)

2008年09月11日

第一次戦イベント

 旧ブログでは容量不足でろくに写真を載せられなかったのでここに少し貼っておきたい。
今年5月末に行なわれた一次戦イベントの画像である。
来月所用で(笑)モスクワに行くのだが、10月の26日に同じ場所でまた同様のイベントが行なわれるのだ。夏と違って夜が明けるのは遅いわ前日泊のテントは激寒だわ、道は泥まみれだわと苦労は倍加するのだが・・・。でも多分参加してしまうのがマニアの性である。

イベントの名物男・ブリノフ。TVインタビューに装甲車の上から答える、というのはどうかと思うが。ちなみに装甲車はモスフィルムからの借り物で、スローガンと国籍マークは当日こいつが描いていた(もちろん水性ペイント)。



こんな感じで固まっていると全員がただのマニア、とはとても思えない。モスフィルムから借り出した武器を抱えるとみんな顔がほころぶのである。

TVインタビューを受ける謎の東洋人。胸には日露戦争記念「旅順防衛章」(1914年制定)がついていた(笑)。  

Posted by Yakov at 23:55Comments(2)