2011年09月19日
代議員章(1)
ソ連の議員バッジを共和国単位で収集することはかなり難儀である。筆者とてそうそう何個も集められるわけではないのだが、市議会村議会も含めれば結構溜まってきてはいる。またぼちぼちと地道に紹介していきたい。
ソ連最高会議の代議員章。戦後すぐから80年代までデザイン自体はほぼ変わらないが初期のスクリューバックからだんだん(60年代後半以後)ピンバックの比率が増えていく。写真のものはピンバックで80年代ものだ。
ソ連時代のロシア社会主義連邦共和国最高会議代議員章。1955年以前は直線的なデザインだったが55年以降89年までこのデザインである。やはり60年代後半からピンバックの比率が上がっていく。
ロシア社会主義連邦共和国内のマリ自治共和国の「人民代議員」章。この名称変更は89~90年で91年を持って廃止、そのためこの時代のバッジは非常に貴重である。
余談だが現ロシアの国会議員の中にはソ連時代の代議員バッジをそのままつけている例が結構ある。まあ(議会入場時の)身分確認はバッジでなく証明書なわけで「ポリシー」で使い続ける分には問題がないのだろう。
ソ連最高会議の代議員章。戦後すぐから80年代までデザイン自体はほぼ変わらないが初期のスクリューバックからだんだん(60年代後半以後)ピンバックの比率が増えていく。写真のものはピンバックで80年代ものだ。
ソ連時代のロシア社会主義連邦共和国最高会議代議員章。1955年以前は直線的なデザインだったが55年以降89年までこのデザインである。やはり60年代後半からピンバックの比率が上がっていく。
ロシア社会主義連邦共和国内のマリ自治共和国の「人民代議員」章。この名称変更は89~90年で91年を持って廃止、そのためこの時代のバッジは非常に貴重である。
余談だが現ロシアの国会議員の中にはソ連時代の代議員バッジをそのままつけている例が結構ある。まあ(議会入場時の)身分確認はバッジでなく証明書なわけで「ポリシー」で使い続ける分には問題がないのだろう。
Posted by Yakov at
17:34
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