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Yakov

2016年07月30日

再録189・大戦時のイレギュラー品(1)

 根本的な話をすると戦時下、しかも将校の制服は自弁だったりする国の話であるので実を言うときりがない。まあちょっと面白い品を紹介するくらいのつもりなのでその辺は軽く流していただきたい。例によって(2)は思いついたときにでも(身勝手)。



ソ連では大戦真っ盛りの1943年早々に制服の大改定が行なわれたのだが、その移行期間には旧制服に肩章を縫いつけただけ、という将兵がぞろぞろいたのはいまさらいうまでもない。だがこの例では多少余裕があったのか(?)折り襟のギムナスチョルカを立て襟に仕立て直して着用したようである。もともとは陸軍スタンダードな隠しボタンタイプであったようだが(胸もしっかりした貼りポケット)ちゃんとボタン露出式に改造するなど手の込んだ改造を行なっている。新造した立て襟部分にはボタンホールを開ける代わりにホックを縫い付け、表に飾りボタンをつけた「改造品」である。



レンドリースで送られた(主に)英米製品だが、(ブーツやベルト、兵器は別にして)こと軍服に関しては生地(+ボタンなどの小物)で送ってソ連で仕立てる、あるいはソ連の規格で縫製した後送る、というのが基本だったように思うがこのようなものも存在したようだ。ソ連軍用ズボンの規格とは似ても似つかず(筆者は米軍の軍規格など全く知らないが)おそらく米軍用ズボンに赤ラインを縫いつけたとおぼしいズボン。画像が小さいがW29,L31のサイズ表記があるので受領後の現地改造かもしれないが。



これはなんというのだろうか、大胆な改造を施された元ギムナスチョルカの航空ジャンパー(?)。アイクジャケットどころではないこの丈の長さでは、ヨーロッパ体型でないととても似合いそうもない。ジッパーというのは壊れると修理が大変なので軍人はあまり好まないのだが、まあエリート兵科である故の贅沢かもしれない。余談だがジッパーの壊れた革ジャンパーに(コサックのカザキンのように)ホックを互い違いに縫い付けた革カザキン(?)というのを見たことがある。お世辞にも格好よいとはいえなかったが・・・。



大戦中か戦後すぐの占領地メイドか知らないが、このようなキーチェリ襟のギムナスチョルカは写真でもちょくちょく目にする。士官の例はあまり見ないが兵・下士官が故郷へ送る記念写真向きの服のようだ。まあ将校がこのタイプを着ると帝政将校みたいになるしなあ・・・。
(2007/2/23)
  

Posted by Yakov at 22:50Comments(0)

2016年07月30日

再録188・情操玩具

 「着倒れ」でも「食い倒れ」でもないのだが、ちょっと脱線して玩具の話でも(さすがに大人の玩具」という表題にするのは思いとどまった)。



巻き玉火薬を使用するピストル二種。ナガン型はなかなかリアルなプロポーションをしているが、マカロフ?型にはなぜか第二次大戦戦勝モデル?として「1941-45」と書いてあるのがちょっとトホホ。・・・いくら戦後制定じゃねえか!とか憤ってみてもそもそも子供向けだしなあ。
マカロフはクリップ様に弾性ではめ込まれているスライドカバーを外して巻き玉を仕込むのだがナガンはよく判らない。これとよく似た別タイプではシリンダー部分の左側面カバーが下にスライドするのだが。まあどちらにしても巻き玉火薬自体レアになってしまった21世紀である。



バネで弾を飛ばすらしい2連装リボルバー(笑)。なにやら青酸ガス発射機のようで、構えただけで威嚇効果がありそうである。もう一つのコロビンТК1926年タイプは・・・高級将校への贈答品か何かで作られた(多分ワン・オフだろう)オイルライター。マガジンがオイルタンクになっているがちゃんとホルスターにもマガジンポケットにも収まるのがなかなか(<これは玩具とはいえないが)。



日本でもポリエチレンの日本刀が売られているがこれはコサックサーベル(シャーシュカ型)。この手のものはシリーズ化しているらしく、海軍礼装短剣のポリエチレン版を買ったことがある。剣吊が異常に短いのでせいぜい5歳児用という感じであった。
最近ロシアでも中国製おもちゃの進出が激しいが、いかに商売熱心な中国人でもこの類には手を出していない、と思う。



ゼンマイでカタカタ動くマキシム重機。銃口部分のパーツが欠落しているが、ないからといってどうということもなかろう(開き直り)。
これ以外にも多少の玩具コレクションはあるが、まあ脱線もこれくらいにしておこう(ネタに詰まったらまたやるかも・・・)。
(2007/2/22)
  

Posted by Yakov at 22:42Comments(0)

2016年07月30日

再録187・夏服(2)



43年式キーチェリ夏服はかなり便利に使える衣装で夏のミリタリーショーには重宝している。木綿の生成り、麻混紡の上質生地、モスリン様の化繊、サマーウールといくつかのバリエーションがあるのだが、後2者はまるで涼しくない(笑)。画像は歩兵科の肩章つきで材質は淡いベージュの化繊だが皺になりにくい点は重宝している。



海軍の夏用キーチェリで画像のものは目の粗い木綿地でできた典型的な戦中タイプ(まあ55年規定までは大戦もの、と言ってしまってもよいような気もするが)。裁断自体は帝政の20世紀夏服と瓜二つ、戦前の肩章導入前には袖に小判型の階級章が付いたわけだが。洗濯を頻繁に行なう必要性からだろうか、ボタンは裏側に回した紐、あるいは金具を外すことで簡単に取り外せる。



実はこれが紹介したくて項目を立てた。1947年タイプの民警将官のキーチェリ型夏服。袖のVカットが特徴的で戦後型の国家章入りボタンも縁付きの特殊な専用ボタンが付いている。ただこの服の主は細かな細工が好きだったと見えて、胸ポケットにボタンを付け足し(ボタン穴は手かがり)6個目のボタン穴まであけてしまっている(同型ボタンなど持っていないのでボタンは欠けたままだが)。仕立てのイレギュラーというより持ち主の小技、という感じだが、そもそも民警の将官というのはそんなに暇なのだろうか。
ちなみに、手持ちの鉄道員キーチェリでは胸ポケットのフラップ裏にボタンループが付いていて隠しボタンが掛けられるようになっている。いわばポケットを活用する職業ならではの工夫だが、なるほど民警もポケットを活用する職ぎょ…(以下略)。(<スターリン時代だと命がけかも)
(2007/2/21)  

Posted by Yakov at 22:36Comments(0)

2016年07月30日

再録186・夏服(1)



ОГПУの1932年式の記章をつけたギムナスチョルカ。前合わせの下端が水平にカットされている点が35年式との主な違いである。(一部例外はあるが)1924年式以来基本的にボタンが隠しボタンになっている陸軍式ギムナスチョルカに比べ治安機関用ではボタン露出式が基本となっている(24年式では隠しボタンがデフォルト)。無論夏用ともなるとより涼しい(?)ボタン露出式を使用する陸軍将兵もいるわけだが。



先の説明でほぼ言い尽くしてしまったが、35年式の典型的な陸軍用ギムナスチョルカ(記章は医療科)。前合わせの下端が三角形な点が特徴、というか今まで散々紹介してきた裁断である。余談だが医療科のように袖章がない兵科は楽である。



35年式のボタン露出タイプのギムナスチョルカ。НКВДやГУЛагでよく使われるタイプだが、これは軍の主計部隊の物。これの逆に陸軍タイプのギムナスチョルカを着用している治安機関員の中には3個の飾りボタンを前立てに付けた例もあったりしてなかなか興味深い。



43年式ギムナスチョルカの治安機関タイプ。プリーツつきの貼り付けポケットが特徴である。ここではНКВДの法務将校(少佐)の肩章が付いているが民警なども同裁断のギムナスチョルカを43,47規定を通じて(58年まで)着用していた。まあそのためにこのタイプの制服が数多く残っているわけだが。
(2007/2/20)  

Posted by Yakov at 22:32Comments(0)

2016年07月30日

再録185・騎兵装備(5)

 久々の騎兵ネタ。もともとオリジナルの騎兵用ズボンがなかなか出てこないので中断したのだが、実はまだ出てこない(わが家ではありがちな事だ)。それでも今回購入したものがあるので(5)をはじめたい。でもまた間が開くのだ(笑)。



ロシアのリエナクターがボロディノのイベント用に製作した騎兵用ズボン。士官用にも使えるように青パイピングが入っているのでありがたい。股座の切り替えしと当て布は行方不明のオリジナルと同様なのでここで紹介してしまってもよかろう。戦前の規定だと乗馬ズボンの生地色は青(他兵科は濃紺)ということになっているのだが博物館含め明るい青のズボンなど見たことはない。まあロシア語の青(синий)はもともと水色(голубой)と違ってかなり暗い青なのも事実だが。色の道は難しい(多分前にも書いたオヤジギャグ)。



35年式フレンチは以前に紹介してしまったので35年式ギムナスチョルカと制帽を並べてみた。上が兵用の綿地で下が士官用のウールトップだが、写真だとどうも区別がつきにくい。ご覧のように兵科色は青、といいながらかなり濃い色なのがわかる。戦争後半だと後のКГБの兵科色に近いものも出てくるのだが。




で、そのロイヤルブルーの制帽。一つは40年代、もう一つは69年規定の制帽である。戦後はほとんど儀礼部隊として一部が残されたようなもので兵科としてはほぼ消滅(規定所で無視される程度、という意味)したが配色は相変わらず黒パイピングに青バンド、という具合である。手持ちの銃器に関する単行本の口絵に1977年の軍事パレードの写真が載っているのだが(1812年と22年のコスプレ騎兵と並んでいた)典型的な69常勤服に兵科ワッペンと襟章、写真のような制帽を被っていた。これらのパーツ(肩章やワッペン)を写真で紹介しようと思ったがちょっと埋もれて出てこない(笑)のでまた(6)までお待ちいただきたい(恥)。まあ記章以外にもまだネタはあるので・・・。
(2007/2/19)  

Posted by Yakov at 22:27Comments(0)

2016年07月30日

再録184・航空グッズ(3)

 (2)からだいぶ間が開いてしまったが、(コートやネクタイ&シャツはこの前やったっけ・・・)また民間航空ネタを。



2005年10月導入のアエロフロート新型制帽(上)とプルコヴォ航空の制帽(下)。再びダークブルーに戻ったアエロフロートの制帽はなんというか一段と西側ナイズ(<何語だよ・・・)されて結構違和感がある。これはパーサー及びオフィススタッフの制帽で飛行スタッフは記章・顎紐が金色になり、機長の制帽にはさらに柏葉の金飾りがつく。実は今回知人ルートでアエロフロートの職員売店カタログが手に入ったので自信を持って規定解説が出来るのである(まあ、だからといって現物がすんなり手に入るわけではないが)。プルコヴォ航空の方はレニングラードいやペテルブルクの航空会社でボタンまで独自のものが付いている。



アエロフロートの新制服の方はまだ入手のつてがないので一般の航空作業服店で紺色の95年式「航空会社標準制服」を買ってきてプルコヴォ航空の航空安全員のバッジをつけ、一着組んでみた。アエロの服は前にも書いたが剣襟でシングルブレストの背広裁断なので代用品は非常に難しい(同裁断の背広を日本で仕立てるよりは時間をかけて本物を探したほうが安くつくのはいうまでもなかろう)。



 2005年式胸章と95年式(一番下)を並べてみた。2005年式は上から飛行スタッフ、パーサー、スチュワーデス、である。そのうち(全般的に)バッジや記章類の紹介もやりたいが、画像の解像度を上げないといけないのでブログの残り容量が心配でなかなか踏み切れない・・・。実は残り1/3を切っているのだ。
(2007/2/18)
  

Posted by Yakov at 22:21Comments(0)

2016年07月30日

再録183・雨天対策(3)

 以前「海軍コート」という章立てを行なったのであるが、軍用かどうか判断が難しいものがあるのでとりあえずここで紹介しておく。



これは純然たる海軍用と思われるレインコート。1957年製で以前紹介した50年代後半~60年代のサマーコートとよく似た裁断だが、肩章が差し込み式になっているところが相違点である。



海軍用ボタンの付いた厚手ゴム引きハーフコート(1962年製)。民間商船も同一のボタンを使っているので軍需民需の区別は正直難しい。ポケットは内ポケットのみで、常時着用するのではなく、本当の荒天用装備であるのだろう。



同様の荒天用つば広帽。戦時中の潜水艦乗りが(まあ世界標準といってもよかろう)使用したようなタイプで、特にソ連らしさ、というものも感じないが。ゴムが全く劣化していないのでその点実にありがたい(いや、実用するわけではないのだが・・・)。
(2007/2/17)
  

Posted by Yakov at 22:17Comments(0)

2016年07月30日

再録182・その他公務員制服(2)

 以前、「航空グッズ」や「特殊被服」の項でうやむやに紹介してしまった非常事態省を改めて紹介しようとした結果、こんな章立てになってしまった。例によって計画性の欠如がモロバレだが、まあ単に新規購入品の紹介なのでよしとしよう。



最近のスタンダードな制服である紺のブルゾン上下。肩章は消防士などでは臙脂縁のシャツ用肩章の様なものをつけたり通常はエポレットに通す「スリッポン式」の布肩章を直接縫い付ける、一切つけない等のバリエーションがある。追記・現在の規定では文官にも階級章が割り当てられた。



道路工事の安全ベストのようだがまあそれなりに機能的で重宝する。ロシアで着ると紛らわしい上に官名詐称とか言われかねないが日本で着用する分にはかまうまい。



小型船舶の登録・管理を行なう部局も非常事態省の管轄下にある。胸パッチや帽章はその専用のもの。現地で偶然手にしたロシアの新聞に「チョウザメの密漁を取り締まる係官」と題した写真が載っていたのだが先に紹介したのと同型のブルゾンに商船タイプの肩章をつけた写真が載っており、それと認識した次第。ただ、漁業資源取締官は別組織なので小型船舶登録をチェックするついでにキャビア乱獲の有無をチェックしている、という一種別件捜査みたいなものかもしれない。この担当に逮捕権があるのかどうか知らないが、まあ抑止効果ぐらいはあるのだろう。
ネクタイは最近流行りの刺繍入り特製ネクタイでPX品(?軍じゃないけど)である。
(2007/2/16)  

Posted by Yakov at 22:14Comments(0)

2016年07月30日

再録181・その他公務員制服(1)

 ぞんざいな題名で申し訳ないが、アイテムがある程度まとまっていないと独自の項目を立てるのは難しいので苦肉の策なのだ。例によって不定期掲載だが、この通し番号がいくつまで増えていくのかいささか不安である。ロシアの官庁制服は本当にきりがない・・・。



以前に「民間商船」と大きくくくってしまったが、70年代以後のソ連河川艦隊の常勤記章が揃ったので制服に組んでみた。波型の袖章の上に刺繍のウィングが付くのが面白い。10年ほど前、ソ連海軍の制服を売るロシア人バイヤーが「格好よくてそれらしい」という理由からだろうか、手当たり次第にこの胸章を縫い付けて売りまくっていた時期があったものだ(じじいの回想モード)。当時小さい袖章のほうはあまり見かけなかったのだがどこかに大量に余っていたりしないものだろうか(<実はもっと欲しい)。この写真の胸章は船長用だが、把握している範囲では機関長用、一般用の3種類がある。ちなみに胸のバッジも純正の河川艦隊優秀賞やモスクワ汽船航路記念章などである。



ソ連の84年式ГОСГОРТЕХНАДЗОР(国家都市技術監督局とでも訳すのだろうか)の制帽と制服。基本の配色は炭鉱系(?)の制帽と飾り気のない(鉄道員によく似た)制服である。佐官級の上級官でも襟章がビニールプリントなのがなんというかぞんざいである(さすがに将官級はまともだが)。・・・作業環境はあまり快適とは思えないのに・・・不採算部門の悲哀、なのだろうか(適当)。



ロシアの徴税省МНС(まあ国税局。税金警察とは別組織)の2000年式常勤制服。白のパレード服も同時に購入したが、襟章と帽子を欠いているので写真は省略する。国家システムの急変に伴い1991年に突然出来た組織なので、ロシア連邦の初期は徴税がかなりザル状態であったことは広く知られている。その補完役として税金警察が「活躍」したわけだが。帽子も2000年式だが帽章はそれ以前のものを流用、国家章も大佐級以上のものをつけている。制服一式を完品とするにはもう少しかかりそうである(欠けていた襟章の入手だけですでに一年かかっているのだが・・・)。バッジもそれなりに苦労して入手した優秀賞なのだが、この手の機関のメダル持ちは相当な恨みを買っていそうな気がする(<まあ世界中そうだろう)。
(2007/2/15)

  

Posted by Yakov at 22:04Comments(0)

2016年07月30日

再録180・ソ連・ロシアの防弾チョッキ(4)

 (3)以来えらく間が空いてしまったが、今回入手した防弾チョッキを紹介するだけの内容である。まあ、次回あたりからちょっと面白い制服ネタなど再開するのでお許しあれ。



ソ連時代(比較的初期)のかなりシンプルなパターン。映画で大量に使用したのちに放出されたものだそうで、下端を切り開いてチタンの薄板の大半が取り外されていた。ウロコ状に配置された防弾版がわかるという点では重宝だが、まあ後でちくちく修理せねばなるまい(2個入手した)。ケブラーは抜かれていなかったのでヘナヘナになっていないのは幸いである。
・・・で、その映画というのが気になるところだが「第9中隊」ではないらしい。まあ最近増えているテレビシリーズあたりかも知れぬ。





スペツナッズ用、という触れ込みだがまあ当たらずも遠からずだと思う。軽量化防弾チョッキ・・・というとえらい高性能のように聞こえるが要らないところの布地を減らした、というだけのような気がする防弾チョッキ。ロシア時代になってからのものでそれなりの新素材を使っているのかもしれないが、肝心の防弾版が抜かれていたのでどうにもコメントのしようがない。ポケットの配置などはよく判るので外見の参考資料くらいにはなるだろうか。
(2007/2/14)  

Posted by Yakov at 21:58Comments(0)

2016年07月30日

再録179・国境警備隊1943年式



43年式の国境警備隊キーチェリは昔から入手困難品とされてきたが、ここ数年は幸運に恵まれて気安く記章を取り替えて楽しめるくらい(の数が)揃ってきた。手前の服についている肩章は43年型制定当初に生産されたタイプでボタン周りが丸くかまぼこ型になっているところが面白い。写真では白く飛んでしまっているが、肩章は黄色の絹地で航空技術の大型エンブレムがついている。これが少し後になると後ろの服のように六角形の金糸織に替わっていくのだが。写真を撮るのを忘れたが主計士官・軍政官などは白/銀地の肩章を使用する。



国境警備隊パレード服。以前НКВД43年式の項で紹介した国内軍の色違いのようなものだが、尉官用の記章サンプルとして今回も掲載しておく。多少虫食いがあるのが残念だが、今のご時世、美品などにこだわった日には何千ドルむしりとられるかわかったものではない。



士官候補生の肩章を付けたНКВД共通の立ち襟ギムナスチョルカ。この例では貼り付けポケットにプリーツのないシンプルなものだが当然ながら各種のバリエーションがある(ちなみに一般兵用ではポケット無しのタイプもかなり長く使用されていた)。服の上に並べた野戦肩章だが、43年規定の士官肩章は緑縁に緑のラインであるはずなのであるが、緑縁に茶色ラインの主計・軍政肩章というのも存在したようである。この写真では一般兵科士官用のように五角形をしているが、このようなバリエーションも当時の写真などで多々確認できるのであった・・・。ことほど左様に考証というのは難しい。



制帽を少々提示しておく。右端の兵用制帽はトップが綿製で、鉢巻にはウール製と綿(時に起毛綿)製のものとがある。残りはいずれも士官用だが、航空科・航空技術では左端のような記章がつけられていた(さすがにこの記章はマニアによるレプリカだが)。
ちなみに将官用は、といえば顎紐が金糸織、ボタン・帽章が将官用といった細部以外に内装(汗止め)がサイズ調整のひも付き本革製、という違いがあるのも他の兵科同様である(面倒なので改造する気はない)。
(2007/2/13)  

Posted by Yakov at 21:54Comments(0)

2016年07月30日

再録178・亜熱帯装備(1)



パナマの項に少し関連して55年式の亜熱帯服を紹介する。写真は将校用で55年規定だと肩章には兵科色の縁取りがつくはずだが取り替えるのを忘れた。脳内で補完していただきたい(わがまま)。兵下士官用も似たような裁断だが、カフスが通常のギムナスチョルカ同様の2ボタンで閉じる形式となっている。
これはかなり使用期間の短い服で、58年規定では将校用は詰襟(43年式ギムナスチョルカ同様)になり、袖のタブも幅広で2つボタンで締めるタイプに切り替わってしまった。58年兵用についてはタブの幅以外はほぼ変化はないが。



足首に絞りがついた短靴用のズボン。55年に制定されてからは(僅かに改定されつつ)69年の装備改変後もほぼそのまま使われ続けてきた。



これはアフガン戦で広く使われてきた熱帯用大型ポリ水筒。このカバーだけは大量に出回ったのだが本体は3年ほど探した結果ようやく手に入った(カバーは飲み口を含めて全体を覆う。念のため)。正確にはカップ(?)がつくようだが、とりあえずカバーの中身が手に入ったことで浮かれている次第(われながら安上がりである)。
(2002/2/12)  

Posted by Yakov at 21:49Comments(0)

2016年07月30日

再録177・夏帽(6)

 とりあえず今回はパナマの続きを。





手元に年度不明の装備品規定コピーがあるのだが(内容からみて66年以後だろう)その記載ではまだ1955年タイプのパナマが掲載されていた。そんなわけでおそらく1969年に改定されたと思われるタイプを2点掲載する。サンドカラーが69年製、カーキグリーンが73年製なのだがいずれも全体に丸みを帯びたフォルムである。初期には糸かがりであったベンチホールが後に金属鳩目処理になり、内装も初期のグリーン(55年と同一)からカーキの内張りに変わっている。・・・だからどうした、といわれても困るが。



このタイプはアフガン戦の記録写真によく登場するもの。頭頂部がやや尖っており独特のシルエットを作り出す。写真のものは海外援助物資かはたまたマブータに合わせるサブデュードタイプだろうか、ボタンにソ連製の刻印のないプラ製丸ボタンが付いている。
・・・この後(1990年製と91年製しか見た事がないが)カウボーイハットに似た頭頂部が平坦でつばをスナップボタンで巻き上げる新型パナマが登場したのだが・・・手元にあったはずの帽子が見当たらないので写真は省略する(売っ払ってしまったとも思えないのだが)。もし出てきたらどこかで紹介する、ということで。追記・当然今はだぶついている。



現ロシアではこのようなタイプも生産されている。97年以後に出来たフローラタイプの迷彩なので・・・まったく息の長いデザインである。
(2007/2/11)  

Posted by Yakov at 21:45Comments(0)

2016年07月30日

再録176・夏帽(5)



ソ連軍のパナマの元祖は24年式の夏用ブジョノフカ、ということになるのだろうが既に紹介済みである。いわゆるパナマ、亜熱帯用の鍔広帽はНКВДが1935年に制定したものが最初ということになる。国内軍及び国境警備隊が使用したわけだが報道写真とかで目にするのは圧倒的にこの国境警備隊仕様であろう。熱の放散を考慮して内部は赤色になっている(実効性についてはよく判らない)ところは後の独軍防暑略帽を思わせる。ちなみに顎紐は内部に縫い付けられている。





一般兵科用に制定された1938年型亜熱帯帽。当初の規格ではこのグレーに赤星(その中央には金属帽章)が全兵科共通だったようだが、次の写真のようにカーキのもの、兵科色の星がつくものも出現したようである。基本的にベンチレーターホール(の数と位置)以外は35年式に類似した構造である。



戦後、パナマは1947年、49年、1955年にマイナーチェンジがなされてロシアのマニアに現物を見せてもらったことがあるのだが残念ながら47,49タイプの写真はない。55年式の場合もベンチホールは38年式によく似ており(微妙に異なるが)、ボタンで固定された顎紐を小穴から下に回すタイプに改修されたのが主な違いである。この例では顎紐が欠落しているが。
次回はその後の世代について。
(2007/2/10)  

Posted by Yakov at 21:32Comments(0)

2016年07月30日

再録175・夏帽(4)



前項(3)でちょっと言葉足らずだったようだがこのように固定式の夏制帽ももちろん存在する。洗濯に不便なのは間違いないが・・・。この海軍将官帽は薄いクリーム色のウール製、何かと手がかかる話である。ちなみに海軍の夏制帽は白~クリーム色の様々なトーンがあるが、白背広はほぼ例外なく薄いクリーム色である。なぜか88規定では女性用のみ純白の化繊混紡と指定されているのだが。



織の荒い綿・麻混紡のカバーがついた正体不明の制帽。戦前の海軍白キーチェリを思わせる材質、制帽の下縁にも付いた黄白色のパイピングからみて20年代の民警制帽あたりかもしれない(帽章はバイヤーが適当につけたもの)。いずれにしても(コスプレ)活用が難しい制帽ではある。



「夏用制帽」ということで69規定の将官用夏期パレード制帽もここで紹介してしまおう(デザイン自体は50年代から存在する制帽だが)。例のライトグレーのダブル服に合わせる制帽で各兵科色ごとに存在した・・・のだが経費削減のためか88年規定までに赤と青の2種類に絞られてしまい(改定年度不明。後日追記予定)、そもそも1980年にこの制帽も廃止(通常パレード用の暗青緑制帽を代わりに着用)されてしまった。ただ民警の将官は91年まで夏期パレード服とこの制帽をあわせ続けていたのでややこしい。最下段の制帽はソ連邦元帥用だが、素性についてあまり堅いことはいわないように(笑)。
次回はパナマを紹介。
(2007/2/9)  

Posted by Yakov at 21:27Comments(0)

2016年07月30日

再録174・ファッション通信(4)

 あまりズルズル続けても何なので次回からまた軍ネタに戻ることにするが、とりあえず今回は「鵺」タイプの帽子を紹介する。



レンドリースの米国製によく似た生地で出来た「ハンチング」だが、フラーシュカの血が色濃く混じっているというか何というか・・・。戦後、レンドリース品が軍装備から早々に排除されたのは前にも述べたが、そのまま使い続けると新たな使用料が発生するから、と聞いたことがある(未確認)。軍はダメでも民間用なら使用してもかまうまい、ということなのだろうか。裏地の絹地(多分混紡だが)の色合いも含め、何とも中途半端な「民需品」である。これが準軍事組織の(ДОСААФとか)だったら嬉しいのだが・・・(<特殊な性癖)。



同じく鵺タイプのまごうかたなき民需品であるが、下に見える同裁断の帽子は1998年にモスクワの洋品店で購入した新品である(ザルニッツア工場製)。なにげに息が長いデザインなのだ。



ベレー帽でありながら「つばなしハンチング」ともいうべき裁断の帽子。制帽のカバーに流用してしまおう、と思って買ったというのに・・・。このデザインに気づいた瞬間虫のいい計算は雲散霧消である。戦勝パレードなどに招待された復員軍人のグループがこれに類するお仕着せの「特製民間帽」を被っていたりするのだが、たいてい独自のセンスが強力すぎて日常被れそうなデザインは少ない(まあ筆者がセンスを云々するのも失笑ものだが)。



夏帽としては非常に風通しもよろしく涼しい・・・と見受けられるが腰のない麻生地の帽子(裏地なし)というのは皺が寄るとかなり情けない。部屋に放置してる間にレゲエ調(死語の隠語)になってしまった。
(2007/2/8)  

Posted by Yakov at 21:22Comments(0)

2016年07月30日

再録173・ファッション通信(3)

 前回いただいたコメントの意図を捻じ曲げて、またも番外編に突入である。以前の「ファッション通信」よりは大衆的な方向性だが「カジュアル」と言うには何となく気が引ける(ていうか断じて違う)。まあ適当なところで軍ネタに戻るので(まだ)見捨てないでいただきたい。



フラーシュカまがいの(そのものか?)夏帽はソ連・ロシアでは非常に息が長く愛されてきた。この1920年代のような生成り生地の帽子も1980年くらいまで売られていたものである(裏のメーカースタンプから推定)。モスクワ・ザルニッツァ工場製。



これまた制帽そのもののようなスタイルで、ソ連時代から、現ロシアでも製造され続けている。有名な第43ЦЭПコンビナート(国防省指定のアテリエ)以外にもこの手の注文を受けてくれる工場は残っているようだ。ちなみに同裁断で革製のバージョンも所有している。



上の制帽は40年代のものだろうか・・・。おしゃれ着なのだろうが何となく不穏なイメージがする(<変な映画ばかり見ているせいだ)。何もここまで・・・というくらいのフラーシュカ。下側の帽子は完全なマスプロ品で、デパートなどの帽子売り場で普通に売っているもの。1995年には同型の綿(黒とベージュがあった)を買ったものだがさすがに最近は見かけなくなってしまった。



分類上はハンチングなのだろうが変な裁断の革製帽子。後頭部にバックルベルトがあり、サイズ微調整はそこで行なう。第一次大戦の資料で似たような帽子を見た事があるが、戦後50年代くらいのバイカーには(サイドカーに乗る場合は何というのだろうか?)ヘルメット着用義務がなかったようで、この類の帽子で「ウラル」だかM72だかを乗り回していた場合も多かったようだ。まあ特に「それ専用」でもないのだろうが。
(2007/2/7)  

Posted by Yakov at 21:17Comments(0)

2016年07月30日

再録172・夏帽(3)

 パナマや略帽など取り上げるべき帽子は多いが、また今回もフラーシュカ中心に続ける。



夏用の制帽ではないが、裁断を比較するため1941年導入の野戦帽を紹介しておく。写真のものは米国製生地で作られたレンドリース品だが、もちろんカーキ~暗緑のありとあらゆる生地で作られたもの(まあ普通はウールだが)が存在している。この頃は同色(普通は同生地)のパイピングが必ず付くのだが、戦後タイプの野戦帽(鍔がファイバー)にはわざわざ別材質(色はほぼ同じ)のパイピングが付くものが主流になる。



43年式の陸軍幼年学校制帽(これは戦後生産品だが)で生成りのカバーが付いている。69年式でも幼年学校夏服・夏帽は生成り生地以外(白、というのも存在するのかもしれないが)私は見たことがない。





戦前の民需品。裏に軽工業人民委員部のスタンプがあるが、大きく「モード」と書いてあるのが笑える。まあ当時の流行であったのは間違いなく、映画や記録写真でもコルホーズ員などが愛用していたのが知られている。パイピングがないのも戦前のモードなのだが、戦後のこの類にはたいていパイピングが付くのが面白い(後述)。
(2007/2/6)  

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2016年07月30日

再録171・夏帽(2)

 突発的にはじめた項目なのだがそれなりにネタがあるというのが恐ろしい。



以前日露戦争頃の夏制帽を紹介したが、これは帝政期の警察官制帽。グルジアの映画会社のスタンプが押してあり、帽子自体は間違いなく当時のものと思われる。径時変化で汗止めがボロボロだが・・・。当時の巡査制帽は都市の紋章が入ったりなんなりで非常にややこしく、正直言ってこの帽章が正しいかどうかは不明。ただ帽章のピンが腐りかかっていて外すのに忍びない・・・。まあなんというか以後の研究課題である。



ソ連の民警は1930年代初めから全体が白色の夏用制帽を導入した。それ以前は普通の制帽に防暑カバーをつけたようなスタイルだったのだが。鍔に細かいステッチが入っているのが特徴である。



1940年になると通常制帽に防暑カバーをつけるスタイルが軍、警察、治安機関などその手の機関で一般的になる。写真の例は当初から夏用制帽として作られたタイプで、カバーをずらして内部を露出させてみた。まあ戦後の海軍制帽でもお馴染みのスタイルで、普通の制帽にカバーをかけるタイプとこのタイプとが並存している(まあ出費を抑えるには冬用+カバーの方が都合がよいわけだが)。



これは1926年型とも民警30年代型とも付かない鵺のようなスタイル。まあ政府高官がメーデーなど夏期に被っていた帽子は大抵このような曖昧なフォルムだったりするのだが。製造時期はおそらく戦前であるということしか判らない(パイピングを欠くので41年以前であろう)。
(2007/2/5)  

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2016年07月30日

再録170・夏帽(1)

 なんとも季節感に乏しいテーマだが、そもそも時代からして異なる以上、季節をあわせたところで仕方ないような気もする。まあ、「たまたま夏物が目についた」故の特集である。





キワモノここに極まれり、のような夏制帽。棕櫚の繊維らしきもので編みこまれており、要所要所は革で作られている高級品である。ヤルタあたりの保養所でスターリンの息子(例の空軍将官)他数人が着用している写真を見たことがあるくらいでそうそう多数作られたものとも思えない(民需の避暑用と言う範疇に入れるべきだろう)。そんなわけで結構な値段で購入させられたものの湿気に満ちた日本の夏では実用性が低いことこの上なく、干からびて一部欠けがあるのでますます使い道がない。
麻のスーツ(この時代だと詰襟だが)には割と似合いそうなのだが、一歩外に出れば「街の変な人」確定である(既にそう思われているかもしれないが)。



以前別項で1924年式綿製夏帽については紹介したが、これはコムソモール員のシュツルモフカにあわせる夏帽である。裁断はほぼ同じなので後出の制帽類との比較用にアップ写真を載せておく。



1926年になると軍及び各種機関員は白い夏服用に布製の白帽を使用することが許可される。これはその典型で鍔や帽体にステッチは付かず、パイピングも存在しない。
次回もこれら夏帽について。
(2007/2/4)  

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