QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 10人
プロフィール
Yakov

2016年07月30日

再録169・ワイシャツ(7)

 地味なテーマも今回で一段落。そのうちまた似たような特集を始めるような気もするが。



さて、ソ連の「ダミー結び」軍用ネクタイだが登場した時期は正確にはわからない。今のところ(兵下士官にもネクタイが支給されるようになった)69年規定からは確実に存在するとしかいえないのだ。そのネクタイだが「娑婆」の流行に沿っているのだろうか、70年代後半までは結び目が小さいものが主流であったようだ。その後はお馴染みのフォルムになっていくわけで・・・。将官用(正確には大佐以上)は「絹地」のネクタイを使用するが実際は「絹に似た質感」の化繊混紡のような材質が多い。ちょうど(日本でクラシックな肌着に使われる)「チヂミ」のようなタイプがその「将官用」である。ネクタイピンは58年規定では制定されておらず(私物は使っていたかもしれない)、69年規定から針金を曲げたような純正タイピンが制定された(規定書に拡大図が載るのはなぜか74年規定からなのだが)。厳密には規定外なのだが、高級将校は貴石をはめ込んだ特製のものを好んだと言われている(写真の下側)。
 1975年には新型タイピンが制定された(写真の上側)。一体型の鋳造で生産は容易になったようだが反面安っぽくなったのは否めない。あ、ちなみにタイピンの着用位置は第三と第四ボタンの中間、である。



さて、ネクタイ本体についてだが、ソ連時代、士官以下はウールないし(綿地のような)化繊のものを使用していたのだが新生ロシアでは旧将官用に「似た」質感の化繊製のものに統一されている。PXでは兵科章や国章を織り込んだものが(例:左端の空軍用)人気らしいが。





ルバシカ式シャツをついでに載せてみたい。民需か軍用かは明確ではないが、この手の民族調シャツもかなり後のちまで使用されていたようである。戦中のキーチェリの内着として将官用ルバシカも存在したが、それはこれらと違って前合わせが正面に着く「ソ連軍服式」のデザインであったようだ。
(2007/2/3)  

Posted by Yakov at 20:58Comments(0)

2016年07月30日

再録168・ワイシャツ(6)

 前回「異常なブログ」と開き直ってしまったが、多少は画面に彩りが欲しい・・・くらいの気配りと反省はしている。ということでネクタイについてもちょっと紹介しておこう。その前に前回の取りこぼしから。



ちょっと暗い色に写ってしまったが、税金警察の常勤ワイシャツは「サラダ色」という軟弱な(?)名称で呼ばれているパステルカラーをしている(強面組織なのに・・・)。もちろん礼装シャツは白色だ。
ロシア標準のスタイル・・・と思いきやポケットは税関員に類した(フラップの形状はまた違うのだが)デザイン、ボタンの材質もやや硬質な高級品であったりする。現在、税金警察は組織再編の結果消滅したが、ほぼ同様の制服は麻薬対策局に引き継がれた。(97年以後)この組織に限りライトブルーのネクタイという一風変わったものを使用している。



民間航空・・・というか95年以降のアエロフロート用ワイシャツ。他の航空会社の一部も使用しているが飛行スタッフは肩のエポレットにスリッポンの階級章(黒地に金線)を付ける(パーサーには階級章は付かない)。紹介するのは半袖シャツだが、袖に小さなタブが付くなど必要以上に凝った構造である。



軍のネクタイは次回に回し(軍用はそれなりに複雑なのだ)、まず税関のネクタイから。一部は以前「税関」の項で紹介したこともあるが・・・。左端はすでにロシア時代になってからのネクタイだが87年式のブルーグレー制服に合わせるタイプ(礼装)。50年代末以後のソ連「ダミー結び」ネクタイと違いノーマルなタイプである。真ん中は常勤のブルー/グレーシャツに合わせるタイプで、税金警察も同型を使用している。右端は以前にも紹介した97年式。レジメンタルストライプが特徴で、実物入手前に代用品を探し回ったが果たせず。同様の苦労の挙句ようやく実物を入手した。



アエロフロートのネクタイ変遷。左端のソ連時代の紺色「ダミー結び」ネクタイには純正タイピンが付いている。その次の95年式ネクタイは三色旗柄のストライプが入った凝ったデザインで、下にはソ連時代から代わらない社章が刺繍されてある(純正タイピンも持っている・・・はずだが写真を撮り忘れた。ガサツで申し訳ない)。右の2本は2005年秋に導入された新型ネクタイで紺とオレンジが運行スタッフ、ブルー基調がパーサー用である。
余談だが2005年の新制服はあまり「制服」らしくなく、普段着にしても違和感のない、ちょっと高級なスーツのようなデザインに替わっている。まあ無事に入手できたとしても(高価なので)普段着にはしないと思うが。
(2007/2/2)
  

Posted by Yakov at 20:53Comments(0)

2016年07月30日

再録167・ワイシャツ(5)

 読者諸氏がついて来られているか甚だ不安だが、考えてみればもともと異常なブログではないか。そんなわけでしばらくこのまま続けてみたい。



少し前後するがポケット細部のアップをまず紹介しておく。ベージュのものが前回紹介した河川艦隊、やや暗いライトブルー(形容矛盾だが)が94年型鉄道員シャツ、草色が税金警察シャツ、明るいブルーが税関員のもの。



鉄道員の94年式シャツ。ポケットのフラップがなんとも珍妙な形をしている。記章類が金刺繍製だがこれは「財布に余裕のある」職員が自費で買う「PX品」である(もちろんビニールプリントがデフォルトなのは言うまでもない)。鉄道員なのに「PX」というのも珍妙だがモスクワの鉄道駅付近にはいくつかの軍事用品店(ソ連時代同様военторгと呼ばれている)があり、大抵の場合そこで鉄道員用の衣類や記章を売っていたりするのだ。



税関員にも87年に肩章が導入されたわけだが、当然ソ連時代はライトブルーもしくはグレーの軍と同じ裁断のシャツが使われていた。ロシアになっても97年までは似たような制服が使われていたのだが、肩章のベルベットがウールになるなど経費削減・省力化のマイナーチェンジも行なわれていた。その過渡期タイプのたくし込み式シャツである。胸に国家税関のエンブレムが縫い取られ、ポケットは「ロシア連邦」軍ともまた異なるタイプでプリーツが内側に折り込まれている。色はブルーだが、空軍や鉄道員のライトブルーとはまた違う色なのがなんと言うか・・・。偽造防止?・・・別に税関員に化けようという奴もいないと思うのだが。
このシャツには同裁断で礼装用の白タイプも存在し、それは97年改定以後も引き続き使用されているようだ。限りなくどうでもいい話だが、白シャツのエンブレム刺繍は黄色である。



ロシア連邦軍の標準装備である共通シャツの例も挙げておこう。写真は民警のもの(ブルーグレー)だが、陸軍常勤の草色(ソ連軍よりやや灰色がかったもの。税金警察より少し暗いトーン)、海軍常勤のベージュ、空軍常勤のライトブルー、礼装用の白、の5色が知られている。ソ連軍のシャツとの主な違いはポケットのフラップとプリーツで、全体の形態はソ連将軍用に準じたスタイルとなっている。
(2007/2/1)
  

Posted by Yakov at 20:48Comments(0)

2016年07月30日

再録166・ワイシャツ(4)

 服飾系のネタは続けようと思えば際限なく続くのだが、そのうち休憩を入れたほうが良いだろうか?まあとりあえず今回もワイシャツである。前回述べた(ソ連)非軍事組織のワイシャツだが、単なる色違いとはいえない細部の相違を中心に紹介する。



ソ連の鉄道員制服は43年~55年を除き肩章のシステムをとってこなかった。夏期の略服であるシャツ用に(のみ)肩章が制定されたのが1979年だが、それ以後も最下級職員は肩章ループのないワイシャツを使っていた。これがそのタイプである(94年に全職員に肩章が制定されるまで使用され続けた)。



河川艦隊少将クラス(制式表記は「カテゴリー何クラス」とかいう煩雑なものなので便宜上軍式名称で片付ける)の夏用シャツ。ボタンをいちいち将官礼装用に取り替えてあるのはおそらく個人的趣味だろう・・・(他に見たことがない)。ただポケットの構造、カフス周りなど明らかに軍用とは異なっているのがいやらしい(ポケットの細部はまた別のシャツと一緒に掲載する)。



同様のポケットを持つ開襟服。アエロフロートや鉄道員シャツがが軍そのままの裁断であることから他の公務員服であるのは間違いなさそうだが・・・。1980年代後半から多くの公務員制服に肩章が制定されたので(検事局、税関など)そこら辺のものかと思われる。



某所から入手した軍医用シャツのサンプル。説明書きからロシア時代でなくソ連製のようだが報道写真等で見たことはない。軍病院で着用するか院内着の中に着る性格のものかも知れない。
(2007/1/31)

  

Posted by Yakov at 20:43Comments(0)

2016年07月30日

再録165・ワイシャツ(3)

 まず前回の訂正から。58年規定で女性兵士のシャツについて将校型、と紹介したが当時の女性用シャツは夜会服型の全くの別裁断であった(69改定では合わせが逆の男性型になる)。



初期の将官用シャツでは胸ポケット及びカフスのボタンと他のボタンに違いはなかったようである。脇腹のボタン止め部分がゴム入り(裏のボタンでサイズを微調整する)が主な特徴。



後期型の将官シャツ。ここでは海軍用常勤を紹介しておく。胸のボタンとカフスが足つきの大型ボタンになっている。



開襟型の海軍ワイシャツ。旧世代の構造で1967年製。サテン地の高級素材で作られているため勿体無くて(洗濯が不安・・・)着用できない。



69改定で兵にもワイシャツが導入されたが、図版のようにエポレット型の肩章が作りつけられていた。最後期型では将校と同型シャツに兵用の所属文字入り着脱肩章をつける。
ソ連時代は軍以外の組織も多くが同裁断のワイシャツを使用していた。軍礼装の白、常勤のカーキグリーン、海軍常勤のクリーム色(50年代将官のグレーというのもあったが)に対し、民警の白、ブルーグレー(69年以前はグレー)、民間航空のグレー及び白、ライトブルー、鉄道の白、ライトブルーなどがおもなところだろうか。・・・とはいいつつ特記事項も少なくはないのだ。それらはまた次回。
(2007/1/30)

  

Posted by Yakov at 20:36Comments(0)

2016年07月30日

再録164・ワイシャツ(2)

 前回の図版を改めて確認したが解像度が低すぎてあまりに資料性が低かったので・・・。細部の写真を追加してみる。



襟元のアップ(戦前~40年代)。取り外し式の襟の細部が少しは判るだろうか。貝殻製のボタンが付いているが、もちろんボタンの材質は様々である。



57年式のシャツでは襟付きのものになるのだが、そこはかとなく旧世代のデザインを引きずっているのがわかる。ボタンは米軍のレンドリースボタンと同じような材質のプラスチック製だが、ソ連純正のものだと思う(戦後は早々に《連合軍との協定により》レンドリース品は消えていくのだ)。





1964年からはポケット付きのシャツが登場する。その第一世代が画像のシャツで、裏に翻り防止のループがついているのが面白い。ズボンのベルトを通すのだろうが、実用上かなり面倒だったと見えて後にループは消滅する。脇にゴムの入った将官用(次回紹介)が存在するが、1969年の改定まで通常兵用のワイシャツは存在しない(任期延長下士官とか女性兵士は士官と同様の装備を着用するので例外)。
(2007/1/29)
  

Posted by Yakov at 20:25Comments(0)

2016年07月30日

再録163・ワイシャツ(1)

 そろそろネタ切れだろう・・・と思われる方もおられるだろうが、残念ながらキワモノの道に終わりはないのだ。



戦前のラベルがついたシャツ。替え襟とカフスは50年代いっぱいまで共通した構造である。このグレーのシャツは軍用か否かは不明。プルオーバータイプは比較的メジャーであったようだ。ちなみに海軍用だとプルオーバーの前開き部分に切返しが入る。



これは前開き式だが、戦前の戦車兵、空軍用であったり…すると嬉しい(願望)。写真ではカフスボタンのような構造のカラー止め(貝殻に真鍮金具)をあしらってみた(カフスは七宝)。



1940年代末の製品。1949年に制定された開襟服用のシャツである。これもプルオーバーに開襟だが、最初の戦前タイプを基本的に踏襲している。まあ最初のものは民間用かも知れないが。



1957年に将官用として導入されたシャツ(現代では"рубаха-срочка"とか呼ばれているが)。皆さんの多くがご存知のソ連末期タイプからポケットを外したような形態である。58年から全軍の(開襟服を着る)士官以上に対象が拡大された。将軍用は両脇がゴム入りなど多少の違いがあるが、そこはまた次回に。
(2007/1/28)  

Posted by Yakov at 20:19Comments(0)

2016年07月30日

再録162・作業服(4)

 さて、このサイトは普通のミリタリーブログではない。今回はまたしても軍の枠から(少しだけ)はみ出てしまうのである。



軍事建設隊専用の夏用作業服。軍にも作業服は存在するのだが、70~74年には以前紹介した化学服のインナーと同じような服、74年からは戦車兵の2ピース服によく似たものが支給されていた。
軍事建設隊は別に懲罰的な組織ではないのだが、装備関係に微妙な差別がそこはかとなく感じられるのが悲しい。



同じく軍事建設隊の冬用テログレイカ。綿入れハーフコート(まだ手持ちがない)は軍にも建設隊にも支給されているのだがこのテログレイカはその「専用装備」で何となくみすぼらしい(ボタンまで低品質!)。この上には当然バックルベルトを締めるのだが軍は真鍮バックルの合皮、軍事建設隊は綿のカーキウェブ製に合金(錫色)バックルの使用が規定されるなどやはりそこはかとない2級感が・・・。まあ報道写真に載ることなどありえないからかもしれない。



ちょっと正体不明の作業服。ボタンから鉄道局のような気もするが"тех-надзор":技術管理局も同様のボタンを使っているのでそこらの作業服かもしれない。日本で言えばJISの検査員とかそういう感じだろうか(適当)。



これは説明が必要だろうか、学生(義勇)建設隊の作業服である。普通の作業服のようでいながら微妙に特殊な裁断がなんというか(ボタンもそれ専用なのだ!)。БАМ鉄道の建設現場などに派遣された報道写真をご記憶の方もいるだろう・・・っていうか、いて欲しい。パッチを何点か並べたがモスクワ学生建設隊、全ソ学生建設隊、レニングラード(以下略)など。小さい腕パッチには「モスクワ物理工科大学」と書いてあり、各学校単位でそれなりの規模が編成されていたのがわかる。
(2007/1/27)
  

Posted by Yakov at 20:14Comments(0)

2016年07月30日

再録161・作業服(3)

 こんな題名にしないでもっとましな項目を立てればよいのに・・・と思われるかもしれないが(芸風なので仕方ない)、今回は空挺用の特殊服について(ロシアの街中で特殊服:спец одеждаという看板がかかっている場所は大抵作業服屋である)。



60年代の空挺つなぎに1967年制定の空挺パッチ(パラシュートの両側に翼)と襟章+肩章(芯が妙に軟らかい)をつけた67年軍事パレード仕様。これに白のパレードベルト、ラズベリー色のベレー(側面に青い小旗がつく)を組み合わせたものが当時の映像資料から確認できる。これが翌年のパレードではお馴染みの青ベレーに替わってしまうのだが。
(70年代の空挺つなぎも裁断に大した違いはないのだが今現在手持ちを処分してしまったので写真は省略)追記・今はだぶついている。



"мабута"と呼ばれる空挺作業服の初期型。正確な導入時期は不明だが、1970年代中ごろから特殊部隊の訓練写真などで目にするようになった。現物が手に入る前(80年代)、海軍歩兵の訓練写真で(アグレッサー役の教官が着用していた)目にしていたものの正体がわからずにいたものだ(爺の昔話モード)。ズボンにデフォルトで設けられた空挺脱出ナイフポケットが特徴。



同じくマブータの後期型。80年代初頭からのマイナーチェンジモデルであるがここでは相違点をいちいち挙げないが・・・。ちなみに現ロシアで特殊部隊用に売られているPX品の迷彩服にはこれに類する裁断が多い。ソ連軍の「騎兵コンプレックス」がロシアでは「空挺コンプレックス」に発展したのであろうか(適当)。
(2007/1/27)  

Posted by Yakov at 20:07Comments(0)

2016年07月30日

再録160・作業服(2)

 引き続きカバーオールを。



空挺隊の記章(この頃は空軍の非飛行要員と同じだが)をつけた例だが正直正体不明。軍人がパイピングまでつけた衣服を常用しているとも思えないのだが、飛行士やパラシュート要員などエリートの場合、スポーツ大会やメーデーなど向けの(さすがに革命記念日に着るには寒いだろう)パレード衣装と言う物も存在するので一概には否定できないのも事実。ボタンや記章は当時のものと寸分たがわぬものだけになんとも・・・。横腹両側のタブ+バックルで腹部を調整するタイプ。





モスフィルムで戦車兵や降下兵の記章をつけて用いられることが多いタイプ2種。戦後の民需用ではないかという気もするが同型が戦前に存在しなかったとも言い切れず、なんとも歯切れが悪い解説しか付けられないのであるが。
実際、ブルーのものはいざ知らず、カーキグリーンの民需用というのも考えにくいし・・・。



明らかに軍用生地で作られたタイプでベルトは戦前のものに準じたボタン止めである。いかんせんこの手の衣服は製造年等のデータを別付けの布にプリントしてあったりするので未使用品でもないとそこらの追跡が不可能である。70年代ごろの品に見えるのだが。
次回はもう少し「公式」のものを紹介したい。 
(2007/1/25)  

Posted by Yakov at 20:02Comments(0)

2016年07月30日

再録159・作業服(1)

 題名からしていずれは民間物に流れそうな気配を感じられたかもしれないが、まあしばらくは軍物の紹介が出来そうである。



1928年式のつなぎ服に比較的近い戦車兵用。腰ベルトは全周にわたり、取り外しが可能なタイプ。1940年の刻印があるが、タイプとしては旧型に属する。



これもやや古い世代と思われるが合わせが右前の女性用。民間防衛組織などでスポーツ降下が盛んな時期でもあり、準軍事組織の備品であった可能性もある。初期のプラスチック製ボタン(ベークライトより前の世代だろう)の劣化が激しく(わが家では)取り扱い注意品目である。ベルトが失われているのが残念だ。



全体の裁断は1935年式飛行服に近く(純正飛行服の場合合わせはジッパー式だが)やや後期(1940年近く)に多く見られるデザイン。色味から空挺用?とか気安く言えないのがこの時代の難しいところである。全周に回るボタン止めのベルトで腰を締めるタイプ。



前のものによく似た裁断だが腰ベルトが失われている。体側両側にタブの跡があるのでその2箇所で腰を絞る構造になっていたらしい。
(2007/1/24)  

Posted by Yakov at 19:58Comments(0)

2016年07月30日

再録158・帝政期の制服REPLICA(2)

 帝政期の航空隊についてはソ連時代から熱烈なマニアが(ロシアに、だが)存在しており、研究資料がかなり充実したジャンルである。今回紹介するのはマニアがマニア用に作ったレプリカが主である。内戦期をテーマにした映画ならともかく、帝政の航空隊を描いた映画の数などたかが知れているので(モスクワのマニアにとってモスフィルムの倉庫放出品はかなりのコレクション供給源であるのだが)数少ない実物の代用品は困難を極める。



これはほぼ規定そのままといっても良い制服。マニアの関与が伺われる品ではあるが生地や縫製からいって相当古い(何かの)制服を仕立て直したようにも見える。ひょっとするとそれなりに由緒正しい品かもしれない。胸に航空学校卒業章がつくにもかかわらず肩章が気球乗員用なのは無視していただきたい。まあ画像が小さくて見えないかもしれないが。ちなみに袖の金線は負傷章。



これは戦後の外套を改造したマニア向け、の半外套。レプリカとはいえ、文官の外套にハンドウォーマーを付け足したようなデザインはなかなか上品ではなかろうか。これで革製なら申し分ないのだが(規定通り)、同じものが存在しなかったともいえないのが帝政の難しいところである(何しろ上級士官の制服は特注品だらけなのだ)。



これは帝政期に流行ったフレンチ服。特に航空隊・・・というのではなく紹介するスペースが余ったので載せた(暴言)。白軍の指揮官連中が好みそうなデザインなので(映画による単なるイメージなのだが)適当な記章をつければなかなか楽しめそうな服だが、21世紀に着るには多少抵抗のある生地ではある。



レプリカの航空隊制帽だが実物帽章をつけるとそれなりに見えるから不思議である。下の帽子は下士官用だが、赤軍の航空隊も好んで帝政期の制帽を使い続けていたことから(遊びで)赤星をつけてみた。これ以外にも王冠を切り取った双頭の鷲、プロペラに羽根のついた航空兵科章を直接帽子に付けた実例も多い。
(2007/1/23)


  

Posted by Yakov at 19:54Comments(0)

2016年07月30日

再録157・特殊被帽(6)

 今回はこれまでのものと(まあ形態的には)よく似ている帽子を4つほど紹介する。今後また「特殊」な帽子類を紹介する際には別の名称を考えねばならないのだろうか・・・。



大戦中の小型魚雷艇(ほとんど特攻用のようなサイズなのだ)乗員が使用した合皮製の防風頭巾。潜水艦乗員や海軍の沿岸警備員(ほぼ陸軍に近い装備だが)の使用例もあるようで海軍では比較的メジャーな装備だったようだ。時代劇「影の軍団」とか揶揄する向きもあるようだが、使い勝手は意外に良いのだ・・・(常用すると不審者扱いされそうだが)。



1941年製の陸軍用防寒頭巾。ヘルメットライナーのように使用されることも多い。まあ後期になると(山岳装備の項で紹介した)ニット帽の使用例が増えていくのだが。



1960年代くらいだろうか。民間防衛用装備とともに出てきたフードだが、大戦中にこれと似たものが存在したらしい。リエナクターにはこの方が使いやすいであろう(被り潰しても惜しくないし)。



1973年製の防寒帽。単純な綿入れでクッションがどうというより単純な保温用だろう。空挺用か航空整備士用か実のところ不明である。
(2007/1/22)  

Posted by Yakov at 19:48Comments(0)

2016年07月30日

再録156・特殊被帽(5)

 根本的なことを言ってしまえばシュレムフォンは通信具な訳で無線機での交信を必要とする空挺隊員も常用する。また、空挺降下部隊の黎明期には専用装備などといわず航空用の飛行帽を使ったわけだからことさらに「空挺降下帽」と強調するのも意味不明だが、まあ便宜上ということでご了解いただきたい。



その黎明期(30年代ごろ)の冬季用降下帽・・・と呼んでしまってもよさそうだが、この手のものの年代測定は難儀である。50年代前半までならありうる話だが(戦中など冬季には通常のウシャンカで降下したりもするのだが)。



60年代初期、というところだろうが形式名など正確なところは不明。



70年代までの空挺帽といえばここらをイメージされるところだろう。防寒服(6)で紹介したGRU降下服に付属する降下帽よりやや前の世代である。



80年代ともなるとこちらが主流となる。1986年版教本では全てこれに置き換わっているが実際の導入は70年代半ば以降ではなかろうか(報道写真による推定だが)。
次回は少し変わったものを(ある意味いつも通りだが)。
(2007/1/21)
  

Posted by Yakov at 19:44Comments(0)

2016年07月30日

再録155・特殊被帽(4)

 今回は飛行帽というかшлемфон(ヘルメット型通話機とでも訳すのか?)について。現代ではむしろヘルメットインナーのような位置づけだろうが。ちなみに現代の飛行ヘルメット類は戦闘ヘリ用の装甲ヘルメットも含め(何回か引き合いがあったのだが)結局購入していない。まあ現在のわが家の惨状を見るに、妥当な判断だった気もする。



ШЛ-60シュレムフォン。この頃はまだ「飛行帽」としての位置づけだったのだろうが・・・。



早くも翌年にはインナーとして使用されるのが前提となったШЗ-61が開発された。頭頂部のクッションでそれが判る・・・って見れば判るような解説で申し訳ない。1980年版の飛行用具便覧をみても本当に(マニア的視点からは)大したことは載っていないのだ。
追記:別の資料でШЗ-82の存在を知った。恥ずかしながら新しい資料は持っていないのでこれのどこが改善されているか不明。詳しい方はコメントいただけると嬉しい(多分無理だろうなあ)。





形式名は不明だがほとんどこれらの夏バージョンとしか思えない構造である。クッションなしとクッションつき(写真のものは1980年製)の2例を並べてお茶を濁しておく。マイク周りの配線位置が(前者はおそらく喉頭マイクに直結)明らかに異なっている。
次回は空挺用降下ヘルについて。
(2007/1/20)  

Posted by Yakov at 19:37Comments(0)

2016年07月30日

再録154・特殊被帽(3)

 このサイトはなんというか、新しいものほど詰めが甘くなる不思議なブログである。時系列に沿って紹介していくとドラゴンヘッド(=蛇尾)になってしまうのだがまあご容赦いただきたい。今回は飛行帽について。



ほぼ1933年の規定通りの飛行帽である。耳覆いの下にも耳孔はなく、無線使用時は革の上からヘッドホンを押し付けるしかなさそうである。規定資料には頭頂部にヘッドホンの配線か基部を通すタブがあるのだが縫い付け式のため脱着が大変そうだ。写真のものはそのタブが最初からついていない。裏地は絹。



1933年式以前のタイプと思われるが記録写真からの類推なので確証はない。これには縫い付け式のヘッドホンタブが付属している。



ほとんど同型だが頭頂部のタブがスナップ式。多少は利便性が加味されてきた。先のタイプと同じく裏地は起毛綿。



1953年製のものだが降下用か無線を使用しない機内要員用か確証がない。次回は60年代以降について。
(2007/1/19)
  

Posted by Yakov at 19:32Comments(0)

2016年07月30日

再録153・特殊被帽(2)



前項に引き続き戦中型の戦車帽。カーキ色というところが珍しいが、ヘッドフォンをつけることを断念したのか耳孔に当たる部分を毛皮で塞いであった。まあ乗員全てが無線交信するわけではない、ということだろうか。



1958年製の戦車帽。外観は戦中型とさほど異なってはいないが、ヘッドフォンが内蔵式・・・というか装着を前提としたフォルムである。このタイプ導入の正確な時期は残念ながら不明である。T-54あたりに対応しているのは間違いなかろうが。



奇妙な表現だが「現用型」といえばこのタイプを指す・・・といっても良いだろう。頭頂部のクッションが一本多いタイプであるが特に付け足すべき言葉は持たぬ。申し訳ない。



空挺用の降下安全帽に似ているのだがБМПやら何やらの搭乗員が装着している映像があったように記憶している・・・。追記・戦後自走砲乗員用と判明。
次回以降は空挺降下帽および飛行帽を中心に。
(2007/1/18)
  

Posted by Yakov at 19:26Comments(0)

2016年07月30日

再録152・特殊被帽(1)

 そもそも特殊でない帽子がわが家に存在するのか、という点は置いといて・・・。今回は戦車兵搭乗時の保護帽について紹介する。



1931年制定の戦車帽。内部のクッションがへたってしまっているが、入手困難なためまあ妥協せざるを得ないだろう・・・。オマケに顎紐の止め具も飛んでしまっている。
今回帽子を置いている台はソ連軍用の帽子拡大機。毛皮帽が汗を吸って(乾燥後)縮むことから一度縮んだ帽子を濡らし、ハンドルをぐりぐり回してサイズを広げ、電熱で乾燥させる、という荒業マシンである。サイズが小さい制帽も(紙芯なら)2~3センチは楽に大きく出来る秘密兵器なのだ。



1934年型革製戦車帽の初期タイプ。次に紹介する布製と同裁断のもの(革製)のほうが大量に支給されているのだが・・・。それは残念ながら以前手放してしまった。



1941年には戦車帽も布製となる。黒、グレー、カーキと色調のバリエーションが多く、裁断にも何種類かある。大戦中の記録写真で大戦中に存在したのは間違いないが、生産時期までは同定しかねるものが多い。これは冬用のパターンの一つ。顎の止め具がボタン式とかなり簡略化されており、以前は独立していた襟元の覆いは顎紐を締めると連動して下がる(つまり一体化してある)。もっとも帽子が冬用なので当たり前、なのかもしれないが。



同じく大戦中の製品で(これは夏用だが)顎の止め具は戦前のものに準じた尾錠式。襟元のカバーはスナップ式である。
(2007/1/17)
  

Posted by Yakov at 19:21Comments(0)

2016年07月30日

再録151・パラシュート(2)

 前回に引き続きパラシュート。もちろん完品ではないが、戦前ものも所有していたりする。





1937年製のПЛ-1-С-3(飛行士用パラシュート 1型3シリーズ)の縛帯とカバー。表記の通り飛行士用で、縛帯はなかなかセットも解除も面倒な構造である。そんなわけで見苦しい画像で申し訳ない。銀色のチューブの中には時間差パラシュート開放具(ロシア語では単に「パラシュート用具」というアバウトな名称だが)のワイヤーを通す。この装置も購入したはずだが例によって行方不明。



1936年製のПН-4-С-1(偵察員用パラシュート4型1シリーズ)のカバー。縛帯は完全ではない。本日、ロシアの略語辞典で形式名が解明できた(前回のПН-58は偵察員用パラシュート58型、ということになる)。



前回紹介しそびれたパラバッグ。空挺隊員はこれを私物入れとして使用することが多い。実例としては70年代のソ連スペツナズ「ヴィムペル」の訓練時の写真などがあげられる。
(2007/1/17)


  

Posted by Yakov at 19:16Comments(0)

2016年07月30日

再録150・パラシュート(1)

 皆さんがコレクターだと仮定して、ちょっと面白そうだと思って買ったものの完全に持て余し、数年間が経過した・・・というものをお持ちだろうか。私の場合、その際たるものがこれ、である。
今回届いた資料の中に国防省発行の1986年版空挺訓練便覧(三分冊)が入っていたので多少は参考になるかと昔のコレクションを引っ張り出したのだが、まずその重さにめげてしまった・・・。さらに便覧は、というと各論に終始しているので(当たり前か)紹介されているもの以外の形式を知る参考にはあまりならないようだ・・・。



奇跡的に教本に載っていたД-6パラシュート。Д-5(С-2)とともに訓練及び武装&軽武装の空挺隊員用の(86年当時)標準装備である。安定用の小型パラシュートも付属する(あったはずだが倉庫のどこかに入り込んでしまった。出てきたら画像を紹介したい)。正直、邪魔なのでぶった切ってマフラーか何かにしてしまいたい誘惑に駆られている。



教本には載っていないПН-58(С-3)とその縛帯。航空脱出用かもしれない(空挺の予備傘は"З"という形式名)。座布団(?)も家のどこかにあった気がする・・・。





フルセットの航空脱出用落下傘。С-4Уの記載があるが、これはシリーズ4(訓練用)の意味なのでどこかに形式名があるはずなのだが・・・。縛帯を正確に組もうとしたが画像が小さくて見えないかもしれない・・・(資料性が薄くて申し訳ない)。この道の専門家の方がおられたらご教示いただきたい、ていうか引き取っていただくのも可。引っ張り出してみて改めて思ったが、正直邪魔なのだ(涙)。
次回もまだ続く。
(2007/1/15)  

Posted by Yakov at 19:11Comments(0)