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Yakov

2016年07月29日

再録46・戦前~戦中のパレード服

 今回は正統派ミリタリーの話題を。コサック部隊を別にすればほぼパレード服が存在しなかった戦前のソ連だが、例えばクレムリンで儀杖を行なう空軍の兵士に士官用の濃紺のギムナスチョルカを与えるなど、(手持ちの軍服を晴れ着に流用するような)それなりの工夫を続けていた。1940年に将官のパレード制服が制定されたのを機に佐官以下のパレード服が検討され、その結果1941年に採用されたパレード服が今回の主題である。もちろんこれの支給は極めて限定されており、一般の服装規定に登場するのは43年改訂版を待たねばならないわけだが。

再録46・戦前~戦中のパレード服

歩兵科政治士官の礼服(中尉相当=政治士官では最下級)で、襟の外周、前立て、カフス、腰の「スカート部」(最後の写真参照)に兵科色(この場合ラズベリー)のパイピングが着く。通常政治士官の襟章にはエンブレムが着かないのでこの服はややイレギュラーだ。通常カーキ色の側線入り乗馬ズボンと組み合わせる。

再録46・戦前~戦中のパレード服

内務軍下士官の礼服(下級軍曹)。襟が詰襟となり、パイピングは襟周りとカフスのみ。これが兵卒になると全てのパイピングがなくなり、綿製となる。プレートバックルのベルトはこのとき制定されたが、この頃はまだフックの向き(合わせの方向)が逆になっている(帝政式)。

再録46・戦前~戦中のパレード服

再録46・戦前~戦中のパレード服

全階級詰襟、肩章式となった1943年の中級指揮官(尉官)用パレード服。43年式においてもパイピングのシステムは41年式と同じで中級と上級士官では襟章の形状と袖章の数が異なり、兵と下士官はパイピングの有無のほか、襟章に入る金線の有無も相違点である。
日本語ではどういうか難しいがこの部分を俗に「юбка(スカート)」と呼ぶ。
(2006/8/23)





Posted by Yakov at 21:29│Comments(0)
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