2024年04月22日
観光地(91)
古都シリーズで。
何度か紹介した古都ノヴゴロド。ラテン文字とキリル文字で都市名が書いてあるが、「N」と「Н」の形が被っていないのに頭文字でつなぐのはどうした了見か。まあロシア人的には瞬間的に両者を変換するのだろうがデザイナーの見識としてはどうかと思う。
リューリク朝の起源、ヴァイキング(ヴァリャーグ)船をあしらっているのがなかなかいい感じだが、帆の紋章が(当時は問題なかったが)「黒い太陽」みたいであまり縁起がよろしくない。まあナチがなんでもかんでも北欧からパクってきたのが問題なのだが。
何度か紹介した古都ノヴゴロド。ラテン文字とキリル文字で都市名が書いてあるが、「N」と「Н」の形が被っていないのに頭文字でつなぐのはどうした了見か。まあロシア人的には瞬間的に両者を変換するのだろうがデザイナーの見識としてはどうかと思う。
リューリク朝の起源、ヴァイキング(ヴァリャーグ)船をあしらっているのがなかなかいい感じだが、帆の紋章が(当時は問題なかったが)「黒い太陽」みたいであまり縁起がよろしくない。まあナチがなんでもかんでも北欧からパクってきたのが問題なのだが。
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20:04
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2024年04月21日
観光地(90)
有名な「黄金の輪」と書いてあるのだが。
モスクワから201キロの距離にある古都「ウグリッチ」(石炭の野)のバッジである。黄金の輪と書いてあるが、黄金の輪旅行センターがある事によるようだ。黄金の輪、というのは1967年に観光地の周遊プランとして決められたもので、wikiでは8都市が含まれ、その他の街については「議論の余地がある」とのこと。ウグリッチは観光センターのある街だがその8都市には含まれていない(現在は、だが)。
街としては5-6世紀にすでにあったらしいが歴史に登場してくるのは10世紀中ごろである。
工業的にはロシア連邦になってチャイカブランドになった時計工場が有名である。
モスクワから201キロの距離にある古都「ウグリッチ」(石炭の野)のバッジである。黄金の輪と書いてあるが、黄金の輪旅行センターがある事によるようだ。黄金の輪、というのは1967年に観光地の周遊プランとして決められたもので、wikiでは8都市が含まれ、その他の街については「議論の余地がある」とのこと。ウグリッチは観光センターのある街だがその8都市には含まれていない(現在は、だが)。
街としては5-6世紀にすでにあったらしいが歴史に登場してくるのは10世紀中ごろである。
工業的にはロシア連邦になってチャイカブランドになった時計工場が有名である。
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20:06
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2024年04月20日
スポーツバッジ(35)
スポーツチームで。
スポーツチーム「ディナーモ」のホッケーチームバッジ。何度か紹介してきたが、ソ連のスポーツクラブ「ディナーモ」は国家保安機関、民警などの職員が主に加盟しているチームで、普段は民警やKGBで勤務していることが多い。ディナーモ全体のチームエンブレムは菱形にDのマーク入りが多いが、頂部に赤い星があったりなかったり、時期によって微妙なマイナーチェンジがあったりする。
スポーツチーム「ディナーモ」のホッケーチームバッジ。何度か紹介してきたが、ソ連のスポーツクラブ「ディナーモ」は国家保安機関、民警などの職員が主に加盟しているチームで、普段は民警やKGBで勤務していることが多い。ディナーモ全体のチームエンブレムは菱形にDのマーク入りが多いが、頂部に赤い星があったりなかったり、時期によって微妙なマイナーチェンジがあったりする。
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21:33
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2024年04月19日
切手バッジ。
なんだこれは?と思われたと思うが私も現物を見てそう思った。
切手と革命リボンをかたどった枠の中に、板に焼き付けたレーニンの肖像がある。実はこれは何種類ぁのシリーズがあって、これは1944年、レーニン没後20周年の45カペエク切手(若きレーニンの肖像)である。ネットで調べたら少なくとも2種、同年の60カペエク切手(演説するレーニン)、発行年不明の5ルーブル切手(レーニン晩年の肖像)があるようだ。このほかレーニンの肖像だけ同じ枠に入ったものも少なくとも2種あるようで。共通の枠に貼り付けパターンはソ連の宇宙系切手にも多いのをふと思い出した。
切手と革命リボンをかたどった枠の中に、板に焼き付けたレーニンの肖像がある。実はこれは何種類ぁのシリーズがあって、これは1944年、レーニン没後20周年の45カペエク切手(若きレーニンの肖像)である。ネットで調べたら少なくとも2種、同年の60カペエク切手(演説するレーニン)、発行年不明の5ルーブル切手(レーニン晩年の肖像)があるようだ。このほかレーニンの肖像だけ同じ枠に入ったものも少なくとも2種あるようで。共通の枠に貼り付けパターンはソ連の宇宙系切手にも多いのをふと思い出した。
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20:09
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2024年04月18日
友の会(54)旅行系
まあ旅行というかハイカー系だが。
こりゃあ地味で、よく見ないとわからないがハイカー組織担当者バッジ。全国組織の一般旅行(ハイキング)協会、軍旅行ハイキング協会のどちらというのでもなく、資格章のようなものかと思う。自主的団体というからには組織担当者というのがあるわけで、生協の組織部とかその辺に近いのだろう。ハイカー相手でもあるわけでコース設定とか実務にも詳しくないといけないと思うが詳細はよくわからない。
こりゃあ地味で、よく見ないとわからないがハイカー組織担当者バッジ。全国組織の一般旅行(ハイキング)協会、軍旅行ハイキング協会のどちらというのでもなく、資格章のようなものかと思う。自主的団体というからには組織担当者というのがあるわけで、生協の組織部とかその辺に近いのだろう。ハイカー相手でもあるわけでコース設定とか実務にも詳しくないといけないと思うが詳細はよくわからない。
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19:35
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2024年04月17日
スポーツバッジ(34)
学童(といっても高校生双頭の年齢まで含まれるが)競技会で。
割とありがちな学校競技会の「優勝バッジ」であう。上の方に10のように見えるのはЮ、「若者」の意味である。その下にあるMとの組み合わせだが、yandexの画像とかで調べてみたら「若きモスクワっ子」(ユーニーマスクヴィッチ)の事らしい。モスクワ市内の学校競技会ということだろうか。
バッジにこれだけ種類があると一個一個調べるより似たようなものから「類推」するしかないが、まあふた昔前と比べて便利になったものである。昔は市場やバッジ交換会で知り合いを見つけては疑問をぶつけるしかなかったのだ。
割とありがちな学校競技会の「優勝バッジ」であう。上の方に10のように見えるのはЮ、「若者」の意味である。その下にあるMとの組み合わせだが、yandexの画像とかで調べてみたら「若きモスクワっ子」(ユーニーマスクヴィッチ)の事らしい。モスクワ市内の学校競技会ということだろうか。
バッジにこれだけ種類があると一個一個調べるより似たようなものから「類推」するしかないが、まあふた昔前と比べて便利になったものである。昔は市場やバッジ交換会で知り合いを見つけては疑問をぶつけるしかなかったのだ。
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18:53
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2024年04月16日
謎の女性軍服。
まあうちにあるものの2割くらいは謎なのだが(なぜ買ったのか?だと謎率は50%まで跳ね上がる)。
上から航空隊(空挺も同じ)襟章を付けてあるが、服としては1941年の野戦襟章が付いていた。ざっと見たところは41年ギムナスチョルカなのだが、前合わせが4つボタン(一番上は補助でホックの代わり)になっており、ソ連のイラン進駐部隊になくもないような変則構造である。イラン派遣のように一番上の補助は外して開襟で着る方がよさそう(襟を締めると相互に干渉する)なつくりでちょっと面白いと思える。まあ1935年以前にもこのような変則仕立服はごろごろしていたので説得力のある事は何も言えないが。肩の寸法詰めは当時典型的な女性軍服である。
更に変わっているのは襟の後ろ。ちょっと尖っているのだ。軍以外の民間防衛組織にも特にこのような制服はなく(コムソモール服はまったく別物、アソアヴィアヒムは記章以外は軍に準じている)、そもそも供生地襟章も軍企画なわけで。変則裁断の軍服、ととりあえず理解しておく。
上から航空隊(空挺も同じ)襟章を付けてあるが、服としては1941年の野戦襟章が付いていた。ざっと見たところは41年ギムナスチョルカなのだが、前合わせが4つボタン(一番上は補助でホックの代わり)になっており、ソ連のイラン進駐部隊になくもないような変則構造である。イラン派遣のように一番上の補助は外して開襟で着る方がよさそう(襟を締めると相互に干渉する)なつくりでちょっと面白いと思える。まあ1935年以前にもこのような変則仕立服はごろごろしていたので説得力のある事は何も言えないが。肩の寸法詰めは当時典型的な女性軍服である。
更に変わっているのは襟の後ろ。ちょっと尖っているのだ。軍以外の民間防衛組織にも特にこのような制服はなく(コムソモール服はまったく別物、アソアヴィアヒムは記章以外は軍に準じている)、そもそも供生地襟章も軍企画なわけで。変則裁断の軍服、ととりあえず理解しておく。
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20:10
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2024年04月15日
スポーツバッジ(33)
体操系でひとつ。
まあ絵面でわかると思うがソ連トランポリン連盟のバッジである。ロシア語でトランポリンをбатут(batut)と呼ぶことは今の今まで知らなかった。種目的にはバトゥート上ジャンプ競技ということになるようだ。パッと見は球技のネットの様にも見えたが、こんな大胆な姿勢でボールに立ち向かう競技もないので思い直して調べた次第。バトゥートの語源はラテン言語の「打撃」から来たようだが、ソ連の有名な将軍「バトゥーチン」の語源はどうなんだろうか。「どつくぞ」将軍だったら面白いが文献などはまったくない。脱線すまん。
まあ絵面でわかると思うがソ連トランポリン連盟のバッジである。ロシア語でトランポリンをбатут(batut)と呼ぶことは今の今まで知らなかった。種目的にはバトゥート上ジャンプ競技ということになるようだ。パッと見は球技のネットの様にも見えたが、こんな大胆な姿勢でボールに立ち向かう競技もないので思い直して調べた次第。バトゥートの語源はラテン言語の「打撃」から来たようだが、ソ連の有名な将軍「バトゥーチン」の語源はどうなんだろうか。「どつくぞ」将軍だったら面白いが文献などはまったくない。脱線すまん。
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18:51
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2024年04月14日
スポーツバッジ(32)
昨日は交流協会の日露バス旅行のため更新を休んだ。久しぶりにスポーツで。
種目は不明(たぶん総合だろう)だが、沿ヴォルガ地区のスポーツチャンピオンシップ2等級バッジ。沿ヴォルガ地方といっても結構に広く、サラトフ、ヴォルゴグラード、サマラ、ペンザ、ディミトロフグラード、カザンなど多くの街を含む広大な地域である。旗がRSFSRのものであることからわかるようにすべて現ロシアに含まれている。
種目は不明(たぶん総合だろう)だが、沿ヴォルガ地区のスポーツチャンピオンシップ2等級バッジ。沿ヴォルガ地方といっても結構に広く、サラトフ、ヴォルゴグラード、サマラ、ペンザ、ディミトロフグラード、カザンなど多くの街を含む広大な地域である。旗がRSFSRのものであることからわかるようにすべて現ロシアに含まれている。
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19:10
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2024年04月12日
女性用ユダシキン
某所でユダシキン制服(一世代前の服になったが)を入手したので記章を補った。
ユダシキンデザイン2011年陸軍女性用パレード服。女性用で肩幅が無茶苦茶狭く、ハンガーでパツンパツンになってしまったが。胸に切り返しが入った裁断はhttps://voenkom.militaryblog.jp/e718626.html
ここで紹介した海軍女性用とほぼ同じだが、海軍用はダブルの場合4つボタンのシングルバージョンなのでボタン2つ、と変な違いが出てしまっている。とりあえず軍医少佐で組んであり、肩章も正規の台形肩章となっている。この服だとhttps://voenkom.militaryblog.jp/e300907.html
ここで紹介した略帽と組合すことになる。最新の制服では米海軍女性用のようなハットと白スカートになるが、この時代は同色のスカートが必要になる。
これが背面。型部分の切り返しがどうもしっくりこない。ワイシャツじゃないんだから…。
ユダシキンデザイン2011年陸軍女性用パレード服。女性用で肩幅が無茶苦茶狭く、ハンガーでパツンパツンになってしまったが。胸に切り返しが入った裁断はhttps://voenkom.militaryblog.jp/e718626.html
ここで紹介した海軍女性用とほぼ同じだが、海軍用はダブルの場合4つボタンのシングルバージョンなのでボタン2つ、と変な違いが出てしまっている。とりあえず軍医少佐で組んであり、肩章も正規の台形肩章となっている。この服だとhttps://voenkom.militaryblog.jp/e300907.html
ここで紹介した略帽と組合すことになる。最新の制服では米海軍女性用のようなハットと白スカートになるが、この時代は同色のスカートが必要になる。
これが背面。型部分の切り返しがどうもしっくりこない。ワイシャツじゃないんだから…。
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20:23
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2024年04月11日
ここでも食い倒れ
日暮里にあるイラン/ウズベク料理店ザクロはロシアによくあるような食材を売っているので助かる。トルコ産のチューチュヘラ(ナッツをブドウゼリーで固めた犬のxxコのような菓子)とかビーツの酢漬けとか重宝してたら…
なんとウズベクのザクロジュースが入荷していて嬉しい限り。ジュースのブランド名は「ジュースの谷」なんだろうか。
しかし現地語でザクロは・・・アナ・・・いやなんでもないです。まあ「L」じゃないからいいか…いやもっとなんでもないです。
なんとウズベクのザクロジュースが入荷していて嬉しい限り。ジュースのブランド名は「ジュースの谷」なんだろうか。
しかし現地語でザクロは・・・アナ・・・いやなんでもないです。まあ「L」じゃないからいいか…いやもっとなんでもないです。
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19:53
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2024年04月10日
観光地(89)
このブログでアストラハンというと大体パンチパーマのような毛皮のことなのだが。
カスピ海にほど近く、ヴォルガ川の中州にある古都アストラハン、である。そう呼ばれてから二千年以上になり、トルコやアラブ人の各種旅行記にもよく登場していた。15世紀のアストラハン汗国は16-17世紀に徐々にルーシの影響が強まり、18世紀にほぼ掌握された。
カスピ海の石油産業、造船などで知られるが、当ブログではここの陶器工場の製品をよく紹介している。
カスピ海にほど近く、ヴォルガ川の中州にある古都アストラハン、である。そう呼ばれてから二千年以上になり、トルコやアラブ人の各種旅行記にもよく登場していた。15世紀のアストラハン汗国は16-17世紀に徐々にルーシの影響が強まり、18世紀にほぼ掌握された。
カスピ海の石油産業、造船などで知られるが、当ブログではここの陶器工場の製品をよく紹介している。
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20:22
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2024年04月09日
観光地(88)
歯の治療で痛みが消えないが、まあしょうがないので普通に更新する。
シックな配色で綺麗、かつ繊細なバッジである。しかしこれ、https://voenkom.militaryblog.jp/e1138152.html
ここで紹介したヤロスラブリのヴォルコフ記念ドラマ劇場と同じところではないか!リアリズムとアイコン化の好対照である。というかこの前のはほぼピクトグラムである。
ヤロスラブリの紋章の黒熊もちょこっと見える。
シックな配色で綺麗、かつ繊細なバッジである。しかしこれ、https://voenkom.militaryblog.jp/e1138152.html
ここで紹介したヤロスラブリのヴォルコフ記念ドラマ劇場と同じところではないか!リアリズムとアイコン化の好対照である。というかこの前のはほぼピクトグラムである。
ヤロスラブリの紋章の黒熊もちょこっと見える。
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20:01
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2024年04月08日
観光地(87)
昨日はイベントに行っていたので(某寒い屋内イベントではなく屋外である)更新をお休みしていた。大荷物で腕が近医苦痛である。
何度も見たような気がしたが、ブログで紹介するのは初めてっぽい。クレムリンの尖塔代表格であるスパスカヤ塔のバッジ。他の塔のものは殆ど見かけない。
何度も見たような気がしたが、ブログで紹介するのは初めてっぽい。クレムリンの尖塔代表格であるスパスカヤ塔のバッジ。他の塔のものは殆ど見かけない。
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19:32
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2024年04月06日
温故知新のポジフィルム。
もう13年もたってしまった大昔の更新でフィルムビュアーを紹介した。
https://voenkom.militaryblog.jp/e255723.html
そのポジフィルムが単品でソ連土産袋から出てきたのだ。
50年経って張り合わせた糊が剥がれてしまっていたが、ノーヴォスチ通信社発行でレニングラードの記載があるがその面の印刷は半分消えていて判読不能だった。画像にある面にはクスコヴォ宮殿の舞踏室、と説明が見える。かつてのシェレメーチェフ伯爵家18世紀の宮殿が博物館としてオスタンキノ―クスコヴォ@モスクワに残っているわけで、レニングラードがうんたらはフィルムを焼き増し、スライドにした工房の場所かもしれない。
大体こういうスライドは20-40枚組位の箱入りで売られていた。
https://voenkom.militaryblog.jp/e255723.html
そのポジフィルムが単品でソ連土産袋から出てきたのだ。
50年経って張り合わせた糊が剥がれてしまっていたが、ノーヴォスチ通信社発行でレニングラードの記載があるがその面の印刷は半分消えていて判読不能だった。画像にある面にはクスコヴォ宮殿の舞踏室、と説明が見える。かつてのシェレメーチェフ伯爵家18世紀の宮殿が博物館としてオスタンキノ―クスコヴォ@モスクワに残っているわけで、レニングラードがうんたらはフィルムを焼き増し、スライドにした工房の場所かもしれない。
大体こういうスライドは20-40枚組位の箱入りで売られていた。
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20:16
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2024年04月05日
観光地(86)
またモスクワで。
モスクワバッジの定番、クレムリンのスパスカヤ塔と大会宮殿。親の顔ほど見た風景、である。1987年の感動よ今いずこ、とことん見慣れた風景ではあるがもう4年も行けないままの現在、今度見たら泣くかもしれない。大会宮殿に入ったことはないが、屋根だけならもう数えきれないほど見ているのであった。
モスクワバッジの定番、クレムリンのスパスカヤ塔と大会宮殿。親の顔ほど見た風景、である。1987年の感動よ今いずこ、とことん見慣れた風景ではあるがもう4年も行けないままの現在、今度見たら泣くかもしれない。大会宮殿に入ったことはないが、屋根だけならもう数えきれないほど見ているのであった。
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20:34
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2024年04月04日
広告カレンダー。
以前ポケットカレンダーを紹介したことがあった。
https://voenkom.militaryblog.jp/e989586.html
この系譜なわけだが。
ソ連の「経済新聞」購読を勧めるカレンダー。裏は普通にカレンダーなのであるが…。
その裏側と、特に広告というわけでもない「モスクワ大学カレンダー」である。これまたソ連土産袋から発掘した。
https://voenkom.militaryblog.jp/e989586.html
この系譜なわけだが。
ソ連の「経済新聞」購読を勧めるカレンダー。裏は普通にカレンダーなのであるが…。
その裏側と、特に広告というわけでもない「モスクワ大学カレンダー」である。これまたソ連土産袋から発掘した。
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20:18
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2024年04月03日
観光地(85)
モスクワ近郊で…。
これまた「ソ連土産袋」から発見。モスクワ近郊とはいっても距離自体は結構あるのだが有名な「黄金の輪」の一つとしてソ連時代の観光ツアーの定番だったのでい土産バッチと遭遇する確率は結構高い。1010年が建設日とされている(もっと古いようだが)ロシアの古都である。
シンボルのクロクマが意匠になっているバッジが多いが、このバッジはフョードルヴォルコフ記念ドラマ劇場が中心に描かれている。
これまた「ソ連土産袋」から発見。モスクワ近郊とはいっても距離自体は結構あるのだが有名な「黄金の輪」の一つとしてソ連時代の観光ツアーの定番だったのでい土産バッチと遭遇する確率は結構高い。1010年が建設日とされている(もっと古いようだが)ロシアの古都である。
シンボルのクロクマが意匠になっているバッジが多いが、このバッジはフョードルヴォルコフ記念ドラマ劇場が中心に描かれている。
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19:16
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2024年04月02日
儀仗優秀章。
日本の骨董市めぐりでえらく珍しいものに出くわした。
ソ連時代の儀仗勤務優秀バッジである。裏にピンもなく吊り下げ式なのでピンの部分があるはずだが、ヤンデックス検索で奇跡的に出てきた2件の画像でも上の部分はなく、適当なパーツを付けていたのか(公式ではないので)適当なリボンと、もしくは直接服に縫い付けた可能性すらある。
この手のものは大体部隊(軍管区単位)で作った非公式ものなので規定資料が出てくることも期待できず、本体があっただけマシと思うしかない。
ちなみに現在のロシアでは同じ名前の公式バッジが存在し、いわゆる「兵科優等バッジ」の兵科章部分がクロスした斧(クレムリン警備隊でお馴染み)になっているもののようだ。
ソ連時代の儀仗勤務優秀バッジである。裏にピンもなく吊り下げ式なのでピンの部分があるはずだが、ヤンデックス検索で奇跡的に出てきた2件の画像でも上の部分はなく、適当なパーツを付けていたのか(公式ではないので)適当なリボンと、もしくは直接服に縫い付けた可能性すらある。
この手のものは大体部隊(軍管区単位)で作った非公式ものなので規定資料が出てくることも期待できず、本体があっただけマシと思うしかない。
ちなみに現在のロシアでは同じ名前の公式バッジが存在し、いわゆる「兵科優等バッジ」の兵科章部分がクロスした斧(クレムリン警備隊でお馴染み)になっているもののようだ。
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20:35
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2024年04月01日
観光地(84)電波系
ソ連土産袋からモスクワのバッジもバカスカでてくる。今回はテレビ塔で。
派手な彩色と欧州各国語で「モスクワ」と描かれたバッジの中央にあるのがオスタンキノテレビラジオ電波塔である。50年代に計画され、1967年に完成して「十月革命50周年記念」と正式名称にもなっている高さ540メートルの塔である。永らく世界一だったのだが下の方がコンクリートなので「東京タワーの方が上だ!」とセコイことをいわれていた70年代が懐かしい(笑)。1938年のシャブロフカラジオ塔とか、ソ連が放送に勢力を投入していたのは有名なのだが。友人がここのすぐそばに住んでいて、2000年8月に火事があった時には物凄い騒ぎだった、と聞いた。現在も稼働中であり、ときどき塔に美しい映像が投影されることでも知られている。
派手な彩色と欧州各国語で「モスクワ」と描かれたバッジの中央にあるのがオスタンキノテレビラジオ電波塔である。50年代に計画され、1967年に完成して「十月革命50周年記念」と正式名称にもなっている高さ540メートルの塔である。永らく世界一だったのだが下の方がコンクリートなので「東京タワーの方が上だ!」とセコイことをいわれていた70年代が懐かしい(笑)。1938年のシャブロフカラジオ塔とか、ソ連が放送に勢力を投入していたのは有名なのだが。友人がここのすぐそばに住んでいて、2000年8月に火事があった時には物凄い騒ぎだった、と聞いた。現在も稼働中であり、ときどき塔に美しい映像が投影されることでも知られている。
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19:00
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