2016年07月29日
再録30・内務軍1934-37
唐突だが、ちょっと時代をさかのぼってみたい。一般性のかけらもない話で恐縮だが、1990年代前半にソビエト軍装蒐集を始めた日本人にとってНКВД(内務人民委員部)の制服といえば1939年以降のものをさし、それ以前の制服については殆ど知られぬままであった。90年代も終わりになるとロシアの軍装研究雑誌に少しずつ紹介が始まり、ついに昨年フルカラー印刷の研究書が出版されるに至った。数年前から地道に集めてきたコレクションにようやくまっとうな解説が付けられるというものである。
エジョフが内務人民委員であった1934-37年はソ連全土を覆ったスターリン粛清の第一の波ともいえる時期であるが、その歴史的分析や解説は私の任ではない。今回紹介するのはその時期の(内務軍及び国境警備隊)航空制服である。
紺色の防水コートは1935年に一般の内務軍部隊(保安隊員含む)に支給された灰緑色コートの色違いである。当時のボタンは星と槌鎌が彫刻された平坦な金属製であったが、写真のものは軍用に準ずる形状のものがついている。襟章は1936年改正型で国境警備隊の「中尉」(軍では大尉~少佐相当官)。
(補足)1935年型も階級システムは同様だが襟章には階級を示す星が付かず、高級・中上級・下級勤務員を区別する織り紐のみ付く。1939年からは陸軍式の七宝階級章に変わりマニア的には蒐集が楽に(当社比)なるのだが。
内務軍のカーキ色戦闘服。次に紹介する紺色のバージョン違い。階級は同じく「中尉」。銀色のパイピングは1939年にラズベリー色に変わる。ボタンは軍用タイプがそのまま使用されている。
紺色バージョン。これは1934年式看守服(?)に記章を付け替えたコスプレ仕様である。解像度が低くて申し訳ないが、これに使用されているボタンが正規の専用平ボタンである。
略帽と研究書。赤星の台座が暗赤色のものが内務軍、緑のものが国境警備隊。これら略帽は1939年の改定後も引き続き使用された。
制帽も使用されていたがこれには特別な記章が付かず、通常勤務員用と同じものであった。
(2006/8/4)
エジョフが内務人民委員であった1934-37年はソ連全土を覆ったスターリン粛清の第一の波ともいえる時期であるが、その歴史的分析や解説は私の任ではない。今回紹介するのはその時期の(内務軍及び国境警備隊)航空制服である。
紺色の防水コートは1935年に一般の内務軍部隊(保安隊員含む)に支給された灰緑色コートの色違いである。当時のボタンは星と槌鎌が彫刻された平坦な金属製であったが、写真のものは軍用に準ずる形状のものがついている。襟章は1936年改正型で国境警備隊の「中尉」(軍では大尉~少佐相当官)。
(補足)1935年型も階級システムは同様だが襟章には階級を示す星が付かず、高級・中上級・下級勤務員を区別する織り紐のみ付く。1939年からは陸軍式の七宝階級章に変わりマニア的には蒐集が楽に(当社比)なるのだが。
内務軍のカーキ色戦闘服。次に紹介する紺色のバージョン違い。階級は同じく「中尉」。銀色のパイピングは1939年にラズベリー色に変わる。ボタンは軍用タイプがそのまま使用されている。
紺色バージョン。これは1934年式看守服(?)に記章を付け替えたコスプレ仕様である。解像度が低くて申し訳ないが、これに使用されているボタンが正規の専用平ボタンである。
略帽と研究書。赤星の台座が暗赤色のものが内務軍、緑のものが国境警備隊。これら略帽は1939年の改定後も引き続き使用された。
制帽も使用されていたがこれには特別な記章が付かず、通常勤務員用と同じものであった。
(2006/8/4)
Posted by Yakov at 17:34│Comments(0)