2025年02月05日
観光地(144)
また古都シリーズだが別の項目用画像も撮り溜めてあるのでまあ。

ヤロスラブリ州第二の都市ルィビンスク紋章。この街は1984-89年にアンドロポフ市と改名されていたこともある。ヴォルガ、シェクスナ、チェリョムーハの各川に面している。市名が肴に縁がある事は紋章からもうかがえる。街自体の誕生は1071年、ウスチシェクスナが1504年にルィブナヤ スロボダ、1777年にルィビンスクとなり、エカテリーナ2世の時代にこの紋章が定められた。戦後の一時期シチェェルバコフ、最初に書いたように案撮りポ節に変わるなど市名は変遷している。
紋章が小さくて恐縮だが、赤地に上半分にはヤロスラブリの紋章である「金の戦斧を担いだ熊」中心に川を示す青い線と緑の岸、エカテリーナ2世ゆかりの金の橋、2匹の銀のコチョウザメが描かれている。ソ連時代は使われていなかった旧紋章が21世紀に再び使われ出したことになる。
ヤロスラブリ州第二の都市ルィビンスク紋章。この街は1984-89年にアンドロポフ市と改名されていたこともある。ヴォルガ、シェクスナ、チェリョムーハの各川に面している。市名が肴に縁がある事は紋章からもうかがえる。街自体の誕生は1071年、ウスチシェクスナが1504年にルィブナヤ スロボダ、1777年にルィビンスクとなり、エカテリーナ2世の時代にこの紋章が定められた。戦後の一時期シチェェルバコフ、最初に書いたように案撮りポ節に変わるなど市名は変遷している。
紋章が小さくて恐縮だが、赤地に上半分にはヤロスラブリの紋章である「金の戦斧を担いだ熊」中心に川を示す青い線と緑の岸、エカテリーナ2世ゆかりの金の橋、2匹の銀のコチョウザメが描かれている。ソ連時代は使われていなかった旧紋章が21世紀に再び使われ出したことになる。
Posted by Yakov at 19:10│Comments(0)