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Yakov

2024年05月31日

ウクライナ戦線(12)

 この表題は特別軍事作戦前から採用しているが、実際ノヴォロシアの人々にとっては10年越しの現実、それにロシア連邦の項目を足す、という形になるだけではある。



以前のミリショー(4月のビクトリーショーだが)でディーラー仲間に譲っていただいたメダルの一つ。これは正式なドネツク人民共和国制定のもので22年4月21日発行のマリウポリ解放メダルである。制定は4月26日、工場が旧ウクライナ領内にあるためだろうか、仕上がりはロシア国防省のものとは結構違う。証明書の国章はロシアのものになっている。、住民投票による9月30日のロシア復帰前の制定にしては不思議だが、ドネツクルガンスクロシア連邦軍3軍向けのもの、だからかもしれない。



海軍の意匠があるが受勲対象は軍、動員兵、国家保安省、内務省、検事局、各省庁の文官で防衛戦に携わったもの、ロシア連邦の該当する職務戦闘員すべてである。



栄誉ある解放の日付。このデザインは大祖国戦争時の多くのメダルに習っている。

2014年5月9日のウクナチによる攻撃からの長きにわたる戦いであり、まだ完全に敵を屈服させたわけではないが偉大な結節点といえよう。  

Posted by Yakov at 20:13Comments(0)

2024年05月30日

赤の広場食い倒れ(51)

 不滅の連隊東京で偶然伺った銀座赤の広場が閉店検討中とのお話、残念ながら結局6月いっぱいで一時閉店となったそうである。
通販は継続するそうなのでそこは安心材料だが、ロシアからの輸入が難しいのは実に残念なことだ。



気を取り直してアルメニア産のニジマスとそば米のカーシャ。ここのニジマスの缶詰(ウハーに良い)は購入済みなので安心して買える。



姉妹品の米カーシャ。ためしに買った、という感じだが。
特価販売品が多いのでお近くの方も是非。  

Posted by Yakov at 20:03Comments(0)

2024年05月29日

名物店ザクロで食い倒れ。

 前にも紹介したウズベクジュースが日暮里のイラン/ウズベク料理店ザクロに新製品入荷である。



以前紹介したザクロジュースと同メーカー、チェリージュースである。裏のロシア語表記では芳香チェリーみたいな表記だったが、これがウズベク語表記。アナなんとかと違いインパクトは弱いがとりあえず覚えた。オルチャがおるっちゃ。  

Posted by Yakov at 20:19Comments(0)

2024年05月28日

国境警備の日。

 5月28日は国境警備の日。モスクワにいるときは大体この日にゴーリキー公園とかに行くことにしていた。
酔っ払いが暴れるから注意しろ、と女性陣はいうのだが、同窓会のようなものなので喧嘩があっても相手は同輩か制服警官。こちらには特に問題ないのだ。



地下鉄には国境警備隊各時代の制帽やベレーを被ったおっさんや若者がそこらじゅうにいる。地下鉄で遠くの方に1935年制帽を被ってる奴がいるなあ、と思ったらモスフィルムの衣装係(その前日に遭ったばかり)だったり、まあ業界は狭すぎるのだ。で、緑色の国境警備読本は…



実は中にコニャックやウォッカの小瓶を仕込んだ贈答用グッズなのであった。まあ祝日で昔の戦友と顔を合わせるとなれば、飲むわなあ。

以前、文化公園にほど近いモスクワ市博物館でフリマがあった時にうっかり1979迷彩のジャンパーを着て行ったことがある。地下鉄で隣に座ったアンちゃん「あんたどこの戦区にいた?」「極東だよ!」でやりすごしたが、公園で一緒に噴水で泳ぐ羽目にならずに本当によかった。  

Posted by Yakov at 18:42Comments(0)

2024年05月27日

十月革命シリーズ(4)

 また50年代ということで。



ソ連国旗と月桂樹、ローマ数字の40しか書かれていないので1922年ソ連成立から40年なのか1917年十月革命から40年なのか決め手に欠けるが、バッジマニアの間では十月革命40年と呼ばれているのでそれで行きたいと思う。七宝の具合がとても美しい。  

Posted by Yakov at 19:33Comments(0)

2024年05月26日

観光地(98)

 外出、打ち合わせでちょっとバタバタしていた。



1965年にキエフが英雄都市になったわけだが、それを意匠としている。もの自体は1980年代くらいだろうか。1965年に最初の7都市、1985年までに6つの都市がソ連邦英雄、ブレストは「英雄要塞」の認定を受けている。
ちなみにマイダン後にウクファシスト政権は愚かにもキエフの英雄都市を返上したらしいが、ロシアでは今も英雄都市として認定されている。
  

Posted by Yakov at 20:34Comments(0)

2024年05月25日

スポーツバッジ(42)

 サッカーのネタを。



1940-50年頃だろうか?軍中央スポーツクラブЦСКА(CSKA)のサッカー部門のバッジである。ソ連のサッカーボール意匠が西側によくある白黒のアレに替わったのはそんな昔ではなく、1980年代初めにはまだこのデザインがメインだった。1985年辺りが切り替わりだろうか、という感じだ。
この頃のツェスカーは赤と青ではなく赤い星だけでイメージカラーにしていたらしい。



ピンボケで申し訳ない。「ソ連」と「連盟」しか記載がないが、上と同じボールの模様が中心、縁に月桂樹が描かれているのだと思う。最初は電気のこぎりかと思ったが。
  

Posted by Yakov at 23:22Comments(0)

2024年05月24日

観光地(97)

 またモスクワなのだが、バッジというには奇妙なものを。



見ての通り、クレムリン・スパスカヤ塔の形に打ち抜いた真鍮版なのだが、折り曲げるための足が一体でついている。モスクワのAがDのようなのはでっぱりを曲げろ、ということである。この手のものは書類挟みの表紙用などによくあるが、足がいかにも頼りなくてすぐ折れそうである。胸に付ける赤いリボンにでも挟み込むのであろうか。メーデーの写真とかにありそうだがこのサイズでは発見するのも難しそうだ。  

Posted by Yakov at 21:22Comments(0)

2024年05月23日

観光地(96)

 ソ連といえば…の機能的にはソ連の心臓ともいえる重要機関を。



計画経済の立案、管理研究機関、ゴスプランの建物である。ソ連成立前の1920年からロシア電化計画を主任務とし、1921年にはRSFSR労働及び防衛員会国家立案局、1922年からゴスプランの名称となった。任務拡大により幾度か移転がなされ、この意匠の建物は1960年代に旧マルクス広場の向かい、アホートヌイリャードにある巨大な建物である(現在はロシア議会・ゴスドゥーマ)。
バッジに英雄勲章が付いているが、ゴスプラン自体は受勲していないようで「英雄都市モスクワ」のシンボルとして描かれているようだ。  

Posted by Yakov at 20:21Comments(0)

2024年05月22日

再びピオネール(8)

 一体どんだけ間があいたのか、という話だが。



1975年発行のピオネールスカヤ・プラウダ50周年記念バッジ。1921年、「ラヂオ」という名前でモスクワ・ソコールニキ地区の壁新聞としてタイプライターで作られたものがリトグラフ印刷となり、23年に編集部が新聞発行者として認められたのが前身となっている。25年以前は「シュコーリナヤ・プラウダ」が題名だった。会員の子供たちへの広報、教育指導、有名作家による読み物、投稿などで徐々に発行部数が増えて行った。週刊、週2回、週3回と発行頻度も増え、人気メディアとして知られる。91年以降は非営利の編集者により全露の子供、学童新聞として発行が続いている。
意匠の女子児童の首のスカーフがピオニールの象徴なわけで、二等身のデフォルメではない。そういえばケンタッキー大佐のネクタイもよく「身体」と誤認されていた。  

Posted by Yakov at 19:03Comments(0)

2024年05月21日

スポーツバッジ(41)

 またいい時代の高品質なものを。



1961年、モスクワの国際重量挙げ大会のバッジである。七宝も美しく全体にすっきりしたデザインだが、密度もあってなかなか完成度が高い。金色のバーベルがまたいい感じである。  

Posted by Yakov at 19:43Comments(0)

2024年05月20日

農業系(8)

 各種団体でもいい気はするが。



麦の穂が意匠の差しピンバッジ。結構時代があるものとは思っていたが、どうも1947年の農業労働者組合のものらしい。七宝の具合といい、ものすごく小さいものだがよく映えるデザインである。  

Posted by Yakov at 19:32Comments(0)

2024年05月19日

スポーツバッジ(40)

 同系列のバッジを一か所に保管してるわけではないので五月雨式に紹介する感じだが、どうか堪忍してくださレンコ。



お馴染みのスポーツ検定バッジ、クロスカントリー1級である。80年くらいのものか、七宝はエナメル塗装である。



これはもう少し古く、60年代近くだろうか。スポーツ機操縦1級。西側ではスポーツといっても金持ちの道楽みたいになっている小型飛行機だが、ソ連ではこの手のスポーツクラブが各都市にあったのだ。  

Posted by Yakov at 21:12Comments(0)

2024年05月18日

観光地(95)

 スモレンスクは紹介していなかったかもしれない。



9世紀から知られる古都、古代ロシアでは最も古い都市のひとつである。場所的に幾度もリトアニアやナポレオン、一次戦ドイツやナチドイツに襲われた地域である。紋章の大砲はナポレオン戦争の象徴であろうか。
受勲した勲章のミニチュアが付いているわけだが、今日では英雄都市として知られるスモレンスク、まだ英雄都市受勲(1985年5月)以前尾珍しいものである。1966年の大祖国戦争勲章1級、1983年のレーニン勲章が付いているので1984年頃のもの、とピンポイントで年代がわかる。まあ1985年に戦勝記念に作ったが受勲対応が間に合わなかったのかもしれないが。  

Posted by Yakov at 19:08Comments(0)

2024年05月17日

十月革命シリーズ(3)

 季節感がないことおびただしいが、昨日の1957年つながりで。



50年代らしく、七宝の出来が素晴らしい1957年の10月革命40周年バッジ。裏が差しピン(背広の襟には意外とつけやすい)なのでどこかにひっかけて無くすのは惜しいという感じだ。特に式典役員用というのでもなさそうだが。  

Posted by Yakov at 20:36Comments(0)

2024年05月16日

フェスティバル(5)

 1957年の世界平和友好祭については何度か紹介したが、バラバラの表題だったので申し訳なく思う。



平和友好祭といえば5大陸を表す(たぶん)5弁の花のようなマークで知られているが、その中央部分だけのようなバッジもあったようだ。
文字は「平和」と「友好」である。50年代らしく七宝がい感じである。  

Posted by Yakov at 19:18Comments(0)

2024年05月15日

交通ネタ(244)

 なんでもかんでもこの分類にしてはいけないと思うがまあ。



ソ連の誇る巨大トラックメーカー「カマス」の建設記念バッジ。コムソモールの義勇労働を中心にして1968年にタターリスタンのブレジネフ市(現在はナベレジュニエ・チュレニ)に作られたのの偉業をたたえるバッジである。中心にタイヤが見えるのはまあ順当なところだが、その中心に埋め込まれている貴石が特徴的である。この辺はまとめてウラル石と呼ばれているのだが、当然個別の名前がある。緑色のマラカイトなどは有名だが、筆者も専門外なのでよくわからない。青っぽいのでアズリット、チャロイト、ラズリット辺りと思われるがそれ以上の同定は困難。わが心はICにあらず。
一つ一つのバッジにGボンドのような合成接着剤で貼りつけられている。これで軍服にワッペンを貼りつけられてえらい迷惑したことがある。  

Posted by Yakov at 19:39Comments(0)

2024年05月14日

友の会(52)

 民間防衛で。



1959‐66年にDOSAAF(ソ連陸海軍友の会)が発行した防衛キャンペーンバッジである。Готовというのはドイツ語のBereitと同じく「準備ok」の意味だが日本語と英語に同じような語がないので面倒くさい。ともかく「防空準備完了!」というスローガンに近い。ソ連の防空軍もおなじくPVOというが、戦前ASOAVIAKhIMの時代から防空、対ガス防衛は民間防衛の基本だったわけで、こちらは後者の意味である。
1960年にはモスクワの成人の70%が基礎訓練を受けてこのバッジを受領したという。バッジの数もそれなりにのこっているわけである。  

Posted by Yakov at 19:57Comments(0)

2024年05月13日

交通ネタ(243)

 本日は黒海艦隊の日だが、それとは関係なく。



1974年発行の北海艦隊40周年バッジである。文字が40以外ないので同定に困ったが、マニアは何でも知っている@ロシア、yandexでオークションサイトを見たらいくつか出品があった。いわれてみれば月桂樹に氷の柱が混ざっている。
ソ連時代の1933年に北海に小艦隊ができ、1937年に北海艦隊に改名されたわけだが帝政ロシアにもアルハンゲリスクを母校とする艦隊があったわけで、2014年に艦隊創立の起点が移動、一気に200年遡っている。現在の基準でいえば創立240周年、というわけだ。  

Posted by Yakov at 20:45Comments(0)

2024年05月12日

宇宙ネタ(15)

 宇宙飛行系は4月中旬にやっておくべきだったのだが。



七宝の感じからして50年代末くらいか。57年のスプートニクか61年の有人ヴォストーク1号かその辺だと思われる。衛星収納部だけで判断しろというのも無茶なので許してほしい。さらっと一周しているデザインなので「無人か有人の最初の飛行」だと思われる。  

Posted by Yakov at 19:51Comments(2)