2025年03月11日
観光地(159)
これまで何度も紹介してきたが、ソチで。

黒海沿岸のソチは小アジアの諸民族、のちにはグルジア人やアディゲ人の領域でもあったわけでロシアの街としての成り立ちは露土戦争での条約締結後である1838年となっている。この図案は特に市の紋章ではないイメージであり(まあソ連時代の紋章もあるわけだが)観光バッジのようなものである。真っ赤な太陽と旅客港(海の駅)というデザインで、太陽が白、背景が赤、という配色のものもある。旅客港は30年代に着手されたが戦災もあって完成したのは戦後である。建物はスターリン様式というか、非常に美しいデザインである。
黒海沿岸のソチは小アジアの諸民族、のちにはグルジア人やアディゲ人の領域でもあったわけでロシアの街としての成り立ちは露土戦争での条約締結後である1838年となっている。この図案は特に市の紋章ではないイメージであり(まあソ連時代の紋章もあるわけだが)観光バッジのようなものである。真っ赤な太陽と旅客港(海の駅)というデザインで、太陽が白、背景が赤、という配色のものもある。旅客港は30年代に着手されたが戦災もあって完成したのは戦後である。建物はスターリン様式というか、非常に美しいデザインである。
Posted by Yakov at 20:12│Comments(0)