2014年04月13日
続・近隣国(78)
今回もバルト三国ネタである。

全体のフォルムを撮ろうとして妙な形になってしまったが戦前のラトビア軍兵用コートである。90年代の末に購入したのだが、ソ連のレンドリース生地コートや戦前のポーランドコートなどといっしょくたにどこかに保管されていたようだ。劇場や映画会社にしては管理番号が打たれていないので軍の二線級装備倉庫あたりかもしれない。実際ソ連併合直後のラトビア共和国軍は旧制服を(ソ連式記章を足しただけで)そのまま着用していた部隊もいくつかあったくらいである。

シングルの裁断といい妙な位置の切り返しといい正面から見ると旧ロシア帝国の影響はほぼみられない。ちなみに襟章はラズベリー色の平行四辺形台座の対角線に銀線を一本縫い付けたデザインである。


背面。絞りタブの形はだいぶ違うがここらの裁断は帝政ロシアの影響が見て取れる。ボタンは戦前のものがそのまま残っていた。

兵用コートの裏地は厚手の綿である。1934年の製造年が見える。
全体のフォルムを撮ろうとして妙な形になってしまったが戦前のラトビア軍兵用コートである。90年代の末に購入したのだが、ソ連のレンドリース生地コートや戦前のポーランドコートなどといっしょくたにどこかに保管されていたようだ。劇場や映画会社にしては管理番号が打たれていないので軍の二線級装備倉庫あたりかもしれない。実際ソ連併合直後のラトビア共和国軍は旧制服を(ソ連式記章を足しただけで)そのまま着用していた部隊もいくつかあったくらいである。
シングルの裁断といい妙な位置の切り返しといい正面から見ると旧ロシア帝国の影響はほぼみられない。ちなみに襟章はラズベリー色の平行四辺形台座の対角線に銀線を一本縫い付けたデザインである。
背面。絞りタブの形はだいぶ違うがここらの裁断は帝政ロシアの影響が見て取れる。ボタンは戦前のものがそのまま残っていた。
兵用コートの裏地は厚手の綿である。1934年の製造年が見える。
Posted by Yakov at 18:21│Comments(0)