QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 15人
プロフィール
Yakov

2025年04月02日

スポーツバッジ(56)

 今回は限りなく縁遠い近隣ネタ。



日本バレーチームのモスクワ五輪出場記念卓上メダル。モスクワっぽい意匠は全くない日本製である。



裏面もジャンプする女性(女子バレーなのだろうか)と鳥と月桂樹。鳥は鳩なのか鷲なのかいまいち不明である。とりあえずソ連胃炎がある、ということで買ったわけだが、こうしてまた家がものに溢れていくのであった。  

Posted by Yakov at 21:53Comments(0)

2025年04月01日

普通のマトリョーシカ(22)

 また日本で購入シリーズ。



日本の骨董市でかなり安く購入した(私が買うのだからそりゃそうだろうが)セミョーノフスタイルのマトリョーシカ。オーソドックス5個入り定番デザインである。



わざわざなんで取り上げたのかというと2024年製、ほとんどお土産をもらってその場で売っぱらったような調子ではないか。しょうがない、うちで大事にしようと思う。そうして今のものに溢れた状況になっているわけだが。  

Posted by Yakov at 20:19Comments(0)

2025年03月31日

筆記用具(26)

 今回もそう大したものではないのだがノラホルカ拾い物で。



2000年代に入ってからのものだと思う民族柄ボールペン。ホフロマ柄とかグジェリ風とかいろいろあるのだが、民族絵柄はそれなりに受容がある。
ソ連時代のボールペンは適当にぶった切って長さを調整して手作りケース(色つきアクリルを積層したもの、貴石やベークライト加工物、木をろくろで削ったものに入れこんだりしたものだが、これは工業製品である。未使用の状態では先端に丸いストッパーがついていたりして、昔を知る者にはどうもピンとこない。インクが出なくなるとぶんぶん振ったりライターであぶった時代がちょっと懐かしくなった。  

Posted by Yakov at 19:28Comments(0)

2025年03月30日

観光地(166)

 またちょっと都市ネタで。



ピンボケで申し訳ないが、ヴォログダ州の街Великий Устюг(ヴェリキー・ウスチュークの紋章である。名前は最も南にある河口、なのだがフィンウゴール語の川とか水とかの意味、という説もある。1147年に歴史に登場した時は単にウスチュークという名前だった。
市章の図案は1780年の「月桂冠を被ったネプチューンが緑の空と金の大地に寝そべり、両手の赤い水差しから水を注いでいる」ものだが、造形の都合で「半裸の親父が禁酒を誓って酒を捨ててる」ような仕上がりになってしまっている。1999年にはこの街が「ロシアのサンタ・ジェドマローズ生誕の地」ということになったのだが、あくまでもこの絵はネプチューンであってジェド・マロースではない。  

Posted by Yakov at 20:24Comments(0)

2025年03月29日

琥珀利用法。

 ノラホルカで懐かしいものを見つけたので…。



いつごろから始まったのかはわからないが、私が初めてソ連を訪れた80年代から定番のお土産、という感じで目にした「琥珀の小片を使った風景画」である。おそらく商品にはならないサイズふぁったり加工中に出た切りくずだったりするのだろうがさらっと描いた手描きの絵、あるいは印刷の風景画で紅葉した木の葉部分に琥珀を貼りつけた「砂絵」のようなものなのだ。そこはかとなく高級感があり、手間自体は大したことがないので額がそこそこのものであれば割と喜ばれるお土産であったのだ。  

Posted by Yakov at 20:06Comments(0)

2025年03月28日

観光地(165)

 今回はレーニンゆかりの地、ということで。



サンクトペテルブルク・セストロレツクという街にあるレーニンとジノビエフがケレンスキー臨時政府から身を隠すために隠れた場所である。1879年にセストロレツク兵器工場の労働者用にできた新興居住地で(当時の名前も「新しい場所・ノーヴィエ・メスタ」)、1894年に鉄道駅「ラズリフ」ができた事でバッジもこの名前になっている。1959年位ここの街は正式にラズリフという街になったのだが、このバッジになっている記念碑は1927年にできたこの地域にあるレーニン博物館コンプレックス(複合施設)の一環になっている。
  

Posted by Yakov at 20:18Comments(0)

2025年03月27日

情操玩具(117)

 この間のノラホルカで「断舎利だから買ってくれ」と言われた人形を。



木製のネズミである。髭をわざわざ植えてあるのは芸が細かいが、どうも餓えただけで特にかわいくはなっていない気がする。この手の人形はモスクワのイズマイロボ市場で多数売られており、このシリーズ、というか同一人物が作ったとしか思えないチェブラーシュカもあった‥のだがまだ紹介していなかったのであとで紹介したい。

…断舎利だから買ってくれ、と言われても断舎利が必要なのは圧倒的に私の方だと思うのだが…いのります。  

Posted by Yakov at 20:12Comments(0)

2025年03月26日

観光地(164)

 また古都で。



ウラジーミル州の街キルジャーチの紋章。1332年に歴史に登場する街で、名前は川の名前に基づく。合皮のブーツではない(<スペルも違う)。1778年から市となったわけだが。この1781年紋章の上半分からわかるようにウラジーミル市の意匠に下半分、切り株の上に羽を広げたミミズク、が特徴になっている。この時の記載では「フクロウ」となっており、図を見ると耳がある、という感じである。2008年にウラジーミル市の部分を赤一色にした改訂版ができたがそれの耳はこれよりもっと小さい。それが翌2009年には下半分の緑の部分だけがまた市の紋章になったが、その図案はこの紋章のように耳が大きく戻り、記載も「耳のあるフクロウ(ミミズク)」と明記されるようになった。
まあもともとロシア語では「フクロウ」と「ミミズク」をはっきり分ける習慣ではなかったのだろうが。  

Posted by Yakov at 19:02Comments(0)

2025年03月25日

 ともかく食い倒れ(61)

 またチョコレートで。



左は「パベーダ(勝利)」工場の「ソナタ」チョコレート。小型のナッツをヌガーで包んでチョココーティングしたものである。
右はポーランド製の"Mieszko"(たぶん人名)でチェリーの洋酒漬けが中に入っていた。解説も何もないのだが、ポーランドの菓子もそれなりにロシアに入っているようだ。  

Posted by Yakov at 19:16Comments(0)

2025年03月24日

観光地(163)

 昨日は日ロ交流協会の月遅れマースレニッツァイベントのため(寝落ちで)更新を休んだ。
今回も都市シリーズで。



1777年に市となったヴォログダ州の街、チェレパヴェッツのバッジである。歴史には1362年にヴォスクレセンスキー修道院の設立とともに登場し、エカテリーナ2世の時代に整備された冶金の街である。1811年にできた市の紋章は刀鍛冶を行う2頭のクマと魚、太陽と舵、岩山を組み合わせた複雑なものだった。このバッジはシンボルを整理して「冶金プラントと溶鉱炉、1777の数字が入った錨となっている。同じように吊るされた溶鋼釜や1811年市章をバッジにしたものなど何種類か存在しているようだ。  

Posted by Yakov at 19:26Comments(0)

2025年03月22日

ともかく食い倒れ(60)

 無茶苦茶簡単で申し訳ないが。



以前ババエフスカヤ工場のトリュフチョコを紹介したが、これは「赤い十月工場」のトリュフチョコ。まあ本体は世界共通でココアの粉がかかっているのも同じ。90年代にモスクワで一番おいしいのは「赤い十月工場だ!」とよく言われていたが、ババエフスカヤ、ロートフロント、ロシア、といったメーカーのは大体ハズレはない。ウクのロッシェン?ああ、あったねえ。  

Posted by Yakov at 20:12Comments(0)

2025年03月21日

情操玩具(116)

 これまた日本で発見。



これまたどこのものか判然としない人形である。西スラブっぽいおそらくソ連の共和国のものだと思うが(ラトビアの人形と同じバイヤーから購入)リネンを編んで作ったような髪の毛と服の外周が特徴的である。顔の部分は木製、楊枝のような棒で本体に固定してある。胸のバラのような部分は紐を巧みに丸めてあって、シンプルながらセンスはよい。



本体はボール紙を円錐に巻いただけという、素朴というか結構ざっくりした製法になっている。  

Posted by Yakov at 19:43Comments(0)

2025年03月20日

観光地(162)

 またクリミアで。



クリミアの中核都市であるシンフェロポリのバッジである、書体がギリシアぽくもある旧字体で書かれているが、1784年にロシアの街になる以前はアクメチット(1796-1802年にもこの名に戻った時期がある)と呼ばれていたようにクリミア汗国やオスマントルコなど異民族の支配下にあったことも関係あるかもしれない。市の紋章は1844年のものも含め全く違うデザインで、ソ連時代1971年、ソ連解体時の紋章も蜜蜂をモチーフとしていた。このバッジは『市の鍵』を描いたもののようだが鍵の上の方に蜜蜂が彫り込まれているのでソ連時代のデザインなのであろう。  

Posted by Yakov at 19:24Comments(0)

2025年03月19日

ともかく食い倒れ(59)

 またチョコ系で。



モスクワの老舗チョコ工場「赤い十月」のチョコレートコーティング菓子「黄金のスフレ」。サクサクした食感でなかなか美味であった。
これはブルーベリー味だが、姉妹品にパイナップル、オレンジ、ラズベリーなどがあるようであった。  

Posted by Yakov at 20:05Comments(0)

2025年03月18日

情操玩具(115)

 また日本御骨董市で見つけた人形シリーズ。



ソ連時代ラトビアの木製人形。ラトビアの女性用被り物は円筒形の帽子か鉢巻の2種が伝統だが、その鉢巻のパターンである。人形自体の造形はめちゃ簡単だが(胴体は洋服展示トルソーのように一本足である)衣服は結構細かくできている。



髪の毛の編み込みも丁寧である。そして前と後ろのスカートの退色具合もはっきりわかる。



裏にはソ連・ラトビアの記載が。dailradeは民謡の名前らしく、ラトビア製品のブランド名的なものかと思う。  

Posted by Yakov at 19:41Comments(0)

2025年03月17日

近隣国(187)

 先日ロシア連邦大使館で行われた「日ロ交流協会60周年」パーティーの絡みで。



日本人参加者に配られた日本製のマトリョーシカキーホルダーである。七宝(表面はレジン加工だと思うが)仕上げで中央が回転する。マトリョーシカの胸に日本をテーマにした柄が…。日本人よりロシア人向けのお土産にするといいと思う。



回転する以上、背面もあるわけで…なんだか「いらすとや」じみた気もするが忍者が描かれていたのである。ここまで何の有意義な情報もないのだが。ノリ任せでここで終了、ドロンする筆者であった。さらば、ニンニン。  

Posted by Yakov at 20:32Comments(0)

2025年03月16日

観光地(161)

 ちょっと今風(当社比)の紋章で。



黒海沿岸、クバン川に面した大都市クラスノダール。1920年位改名されるまではエカテリノダール(1793年創設)と呼ばれていた。エカテリーナ2世から黒海コサックへの贈り物、的な位置づけで発展してきた街である。この紋章は1979年のもので、1967年のタイプでは紋章の上に白い山桜?が加わっており、上のラインもやや異なる。
ご覧の通り盾マークの上にRSFSRの国旗、盾は緑色をベースに金の麦穂、機械工業の歯車、化学・石油プラント、工場施設がデザインされている。
現在は1843年紋章をバラバラに組み替えたようになっており、伝統とはちょっとかけ離れている。  

Posted by Yakov at 19:51Comments(0)

2025年03月15日

ともかく食い倒れ(58)

 久々にチョコで。



ヌガー系のチョコレート菓子「北の熊ミーシカ」。これは1938年と同じレシピ、と銘打ったクルプスコイ(クルプスカヤ記念工場)のもので、ババエフスカヤとかクラスノヤルスク工場のものも見かける。https://voenkom.militaryblog.jp/e85109.html
2009年にも同じ商品名のを紹介しているが、これは1938年のものとほぼ同じデザインである。  

Posted by Yakov at 19:51Comments(0)

2025年03月14日

ともかく食い倒れ(57)

 酒というより健康飲料なわけだが。



ともかく瓶が要り様なのでロシア在住の日本の方にもってきていただいたラトビアのバリザム(薬用酒)。バリザムは以前何度か紹介したが、これは18世紀から大々的にロシアで飲まれて来たものでソ連時代もよく売られていた、「ソ連の店白樺」でも確か売られていたと思う。陶器の瓶が特徴的で、新型の栓がついているのを見てちょっと不安になったが瓶自体は昔と同じだった。さっそくラベルを張り替え、別の所で買ったオランダの陶器製ジンの瓶(取っ手つき)と並べようと思う。
使うのは瓶だけなので中身はちびちび飲んでいるが、紅茶に入れるととても美味しい。そしてソーダで割ると「バイカル」みたいな感じなのだ。  

Posted by Yakov at 19:10Comments(0)

2025年03月13日

情操玩具(114)

 日本の骨董市でなぜか当たりを引くことが多い。地域性は関係ないようだ。



フランスだのスペインだの雑多なお土産系グッズに混じって転がっていたどこからどう見てもソ連製農民人形である。イワンの馬鹿とかせむしの仔馬の系列かもしれないが、あれはあれで作品によって末っ子の王子だったり普通の農民だったりするので特に決まった衣装もなく足のわらじに巻き布といい、汎用農民人形ということにしようと思う。



帽子の感じも斜に被った毛皮帽のようでいい感じである。手にはあまり表情がなくぽわんと開いてるわけだが。  

Posted by Yakov at 20:56Comments(0)