2024年06月09日
工業系。
今回は戦車の聖地、である。

チェリャビンスクトラクター工場のバッジである。第一次五か年計画により、1929年辺りから米国キャタピラー社の製品を参考にトラクターを作り始めたこの工場ではスターリネッツ(スターリン主義者、というわけではない。当時はそのような用語自体なかった。といって鋼鉄の人というよりはスターリン個人寄りだが)シリーズが戦前戦後通じて有名だが、大戦中は41年10月6日より「チェリャビンスク市戦車製造人民委員部キーロフ工場」と改名されるほどに戦車製造にシフトされていく。そもそも1940年にはKV戦車とか航空エンジンとか作っていたが、砲牽引車、T34,自走砲、43年からはスターリン戦車の製造も始まっている。戦後も「ウラルトラク」に改名されて営業を続けているのだ。
バッジの意匠に受勲した勲章が描かれているが、レーニン勲章は結局3回受勲されている。

ついでにバージョン違いも。1984年に通算100万台生産達成を記念したものだ。
チェリャビンスクトラクター工場のバッジである。第一次五か年計画により、1929年辺りから米国キャタピラー社の製品を参考にトラクターを作り始めたこの工場ではスターリネッツ(スターリン主義者、というわけではない。当時はそのような用語自体なかった。といって鋼鉄の人というよりはスターリン個人寄りだが)シリーズが戦前戦後通じて有名だが、大戦中は41年10月6日より「チェリャビンスク市戦車製造人民委員部キーロフ工場」と改名されるほどに戦車製造にシフトされていく。そもそも1940年にはKV戦車とか航空エンジンとか作っていたが、砲牽引車、T34,自走砲、43年からはスターリン戦車の製造も始まっている。戦後も「ウラルトラク」に改名されて営業を続けているのだ。
バッジの意匠に受勲した勲章が描かれているが、レーニン勲章は結局3回受勲されている。
ついでにバージョン違いも。1984年に通算100万台生産達成を記念したものだ。
Posted by Yakov at 21:28│Comments(0)