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Yakov

2021年09月19日

ソ連勲章温故知新(3)

 今回は第二次大戦ステータスの「大祖国戦争勲章」を。1985年バージョンはまた回を改めて。









1942年5月20日制定の大祖国戦争勲章。純銀と純金製の1級と純銀製の2級勲章がある。初期はリボンに吊られた形態で(制定段階では原稿と別の配色リボン(ボルドー色に銀線1本または縁に2本)が定められていたが、実際にはほぼすべて赤い大理石織リボン(画像のものは戦後生産品)であった。画像タイプ以外にも裏のバリエーションがあるが、そんな高価なものはもっていない(笑)
1943年からは直接ネジ式に改められた(43年型配色のリボンは略綬にのみ使用)。
階級を問わず赤軍、海軍、NKVD部隊、パルチザン部隊員でソ連国家の戦いにおける勇気を示したもの、戦争に貢献した軍人が対象で、これもここに条件が定められている。砲兵においては破壊対象(敵戦車の種別撃破数など)、航空機においては「飛行士航法士が高位勲章を得た機の同乗者で個別に敵を撃破した機数)海軍での撃沈数などなどで1級と2級それぞれの基準が細かく定められている。
戦後もおもに都市や組織にも贈られていて市の紋章にこの図が描きこまれていることも多い。
二次大戦時は1級が32万(戦後負傷者への受勲も行われたため85年までに34万)2級95万人(同じく85年までに102万人)が受勲している。
1985年の戦勝40年受勲は別のステータスで大量に受勲が行われたが、それは回を改めて。

1977年までソ連の勲章の大半は本人の死後国家返納であったが、大祖国戦争勲章は(十月革命勲章や母親勲章に並んで)遺族が手元に残してもよい数少ない勲章であった。  

Posted by Yakov at 23:43Comments(0)