2016年07月29日
再録11・海軍歩兵戦後
海軍歩兵、といってもその第二次大戦までの歴史についてはすでにご存知の方も多いであろう。ここでは1963年以後の装備について簡単に触れておく。
黒ベレーに縞シャツ、黒ずくめ、という特異なスタイルは、かつて「黒い死」と恐れられた戦時中のイメージを髣髴とさせる。80年ごろまで戦闘服として使われてきたこのスタイルも88年規定で"迷彩服に迷彩戦闘帽"に置き換えられ、その後の黒制服は一種のパレード装備としてのみ生き残っている(現ロシア軍においても裁断がやや異なる4つポケ黒服を使用)。

最初の画像は戦闘服として使用されていた時期の将校用で肩章は差し込み式、ボタンはまだ(プラ製でなく)黒染め金属のものが付いている。鮮やかな略綬やバッヂが付いているが、実際に偽装が必要な時には迷彩カバーオールを羽織れば済む事だ。ちなみに兵用も肩章は差し込み式で、綿製や起毛綿製の肩章も良く見られる。ズボンは将校用のみ前あわせボタン止めで、兵用は水兵ズボンと同様、両側面のボタンを外すと前部全体がめくれる構造となっている。

次は88年以降にパレード服として使用されたもので両袖に海軍歩兵用パッチが付き、特殊なパレード用のW革サスペンダーを使用する。パレードの場所・式の格式により水兵用付け襟とともに着用する場合があり、服の内側には襟を脱着するためのボタンがある。ちなみにベレー帽は初期の起毛綿製。

最後は例によってイメージ。海軍歩兵用の特殊装備として黒色背嚢、同スリング、黒色合皮ベルト・サスペンダーなどがあるが、通常軍仕様のカーキ色装備品類も多く、必ずしも全装備黒ずくめ、ということではない。茶色の合皮ベルトは1988年規定のもので、同規定の迷彩服・戦闘帽などの図版は省略する。
(2006/7/18)
黒ベレーに縞シャツ、黒ずくめ、という特異なスタイルは、かつて「黒い死」と恐れられた戦時中のイメージを髣髴とさせる。80年ごろまで戦闘服として使われてきたこのスタイルも88年規定で"迷彩服に迷彩戦闘帽"に置き換えられ、その後の黒制服は一種のパレード装備としてのみ生き残っている(現ロシア軍においても裁断がやや異なる4つポケ黒服を使用)。

最初の画像は戦闘服として使用されていた時期の将校用で肩章は差し込み式、ボタンはまだ(プラ製でなく)黒染め金属のものが付いている。鮮やかな略綬やバッヂが付いているが、実際に偽装が必要な時には迷彩カバーオールを羽織れば済む事だ。ちなみに兵用も肩章は差し込み式で、綿製や起毛綿製の肩章も良く見られる。ズボンは将校用のみ前あわせボタン止めで、兵用は水兵ズボンと同様、両側面のボタンを外すと前部全体がめくれる構造となっている。

次は88年以降にパレード服として使用されたもので両袖に海軍歩兵用パッチが付き、特殊なパレード用のW革サスペンダーを使用する。パレードの場所・式の格式により水兵用付け襟とともに着用する場合があり、服の内側には襟を脱着するためのボタンがある。ちなみにベレー帽は初期の起毛綿製。

最後は例によってイメージ。海軍歩兵用の特殊装備として黒色背嚢、同スリング、黒色合皮ベルト・サスペンダーなどがあるが、通常軍仕様のカーキ色装備品類も多く、必ずしも全装備黒ずくめ、ということではない。茶色の合皮ベルトは1988年規定のもので、同規定の迷彩服・戦闘帽などの図版は省略する。
(2006/7/18)
Posted by Yakov at 14:29│Comments(0)