2025年03月02日
観光地(152)
今回はそれほど大きな街ではないが。

トゥーラ州の人口6000人規模の街であるチェルニの紋章。1566年にできた街で、1571年にノヴォシリャ市の防衛ポイント的な位置づけになた。17世紀にはベルゴロドッ防衛拠点としてコサックや銃兵、砲兵の駐屯場所になっている。
19世紀には農業と砂糖の産地として知られるようになるわけだが。
意匠の方は中央に流れるチョルナヤ川(黒い川の意味でもある)が流れており、上下に草の束(詳細はなくただ「草」である)がある、というデザインで1778年に決められた紋章である。2004年に配色を変え、銀と緑の2色(草は緑と金)を黒と金の川で分かつデザインができたが、結局今はもとのデザインに戻っている。
トゥーラ州の人口6000人規模の街であるチェルニの紋章。1566年にできた街で、1571年にノヴォシリャ市の防衛ポイント的な位置づけになた。17世紀にはベルゴロドッ防衛拠点としてコサックや銃兵、砲兵の駐屯場所になっている。
19世紀には農業と砂糖の産地として知られるようになるわけだが。
意匠の方は中央に流れるチョルナヤ川(黒い川の意味でもある)が流れており、上下に草の束(詳細はなくただ「草」である)がある、というデザインで1778年に決められた紋章である。2004年に配色を変え、銀と緑の2色(草は緑と金)を黒と金の川で分かつデザインができたが、結局今はもとのデザインに戻っている。
Posted by Yakov at
20:54
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