2025年03月12日
観光地(160)
古都シリーズである。

1597年に近代史に登場、1778年に市となったスコーピン(リャザン州)の紋章である。12世紀からフィン・ウゴール族の16世紀にはロシアの城塞ができたあたりからロマノフ朝の街となった経緯がある。街の名前自体「スコーパ」(隼)が登場する伝説に基づいているのだが…。
図案の方だが、上の方はもう何度か紹介したリャザンの紋章:クロスした剣と鞘、ツァーの王冠であり、下半分は飛ぶ金色の隼、のはずなのだが…。誰がどう見てもサギである。1779年、エカテリーナ2世時代の文書で「隼」と書かれているのにこれである。画家が生れてから一度も隼を見たことがなかったのだろう、と後世の図案研究家に書かれている始末である。1862年に図案が改訂されたが、今度は鳥が「白鳥」のようだったという。
ちなみに1910年発行の切手にスコーピンの紋章が小さく載っているが、それは子供の描いた「歩いているヒヨコ」にしか見えない。
結局1997年になってきちんとしたハヤブサに描き直され、現在は恰好のいい紋章になっているようだ。
1597年に近代史に登場、1778年に市となったスコーピン(リャザン州)の紋章である。12世紀からフィン・ウゴール族の16世紀にはロシアの城塞ができたあたりからロマノフ朝の街となった経緯がある。街の名前自体「スコーパ」(隼)が登場する伝説に基づいているのだが…。
図案の方だが、上の方はもう何度か紹介したリャザンの紋章:クロスした剣と鞘、ツァーの王冠であり、下半分は飛ぶ金色の隼、のはずなのだが…。誰がどう見てもサギである。1779年、エカテリーナ2世時代の文書で「隼」と書かれているのにこれである。画家が生れてから一度も隼を見たことがなかったのだろう、と後世の図案研究家に書かれている始末である。1862年に図案が改訂されたが、今度は鳥が「白鳥」のようだったという。
ちなみに1910年発行の切手にスコーピンの紋章が小さく載っているが、それは子供の描いた「歩いているヒヨコ」にしか見えない。
結局1997年になってきちんとしたハヤブサに描き直され、現在は恰好のいい紋章になっているようだ。
Posted by Yakov at
21:23
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