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Yakov

2024年02月10日

観光地(68)

 何度か紹介したノリリスク。市の紋章を始め、歴代で市のバッジが膨大な数作られており、オークションで38種類セットとか出品されている始末。50以上は楽にありそうだ。



これはまあ大人しいデザインといえる。太陽とオーロラ、なのだろうか。北極圏の街なので納得ではあるが。  

Posted by Yakov at 20:35Comments(0)

2024年02月09日

医療・衛生(101)

 久しぶりのネタだがバッジである。



1961年設立のソ連医薬輸出公団の20周年バッジである。バルト3国でよくあるような簡易差し込みピン方式なので紛失しやすいが、次期限定の記念バッジなのでこれでいいのかもしれない。ここの企業概要を見ていたら、医薬品、バルク、試薬、ワクチン。医療用具のほかにチベット医学の薬品なども載っていた。確かにソ連時代にチベット医学について研究されていたことを40年ぶりくらいに思い出した。
ここの通常用バッジも欲しいのだが。  

Posted by Yakov at 20:02Comments(0)

2024年02月08日

喫煙具(33)

 久しぶりにこのネタである。





骨董市でソ連時代のパイプがあったので買ってみた。7-80年代のものだろうか、モスクワのたばこ工場ヤヴァ(ジャワ)製で4ルーブル(当時1000円くらいか)のまあまあ高級品でベリョースカ(外貨販売店)の値札があったのでソ連観光旅行のお土産だろう。
携帯用布福江音説明書もフルセット、手つかずで保管されていたようだ。もトーフは熊かと思ったら「ライカ犬」だった。愛犬家にピッタリ、というところか。  

Posted by Yakov at 19:56Comments(0)

2024年02月07日

観光地(67)

 黒海を巡る戦史絡みで。



1980年、ノヴォロシスクに作られた記念碑、1918年黒海艦隊自沈記念碑のバッジ。1918年のブレストリトフスク条約でソビエト政府は自軍管理下の黒海艦隊艦船のドイツへの引き渡しを決定、ノヴォロシスクから白軍とウク反動ラーダ政府支配下のセバストポリへ移動することになった。しかし秘密指令と乗員の判断でそのうちの多くが自沈、ドイツの手に渡ることを阻止した記念である。自沈せず一部ウクのラーダ政権下に墜ちた艦船はウクの名のもとに独軍の補完的な活動をしていたがドイツ敗戦とともに連合国>白軍に移り、20年代に赤軍に復帰した。  

Posted by Yakov at 20:31Comments(0)

2024年02月06日

観光地(66)

 ソ連時代のモスクワをご存知の方なら忘れられないホテルについて。



1967年開業、2006年までモスクワのランドマークの一つだったホテル”ロシア”(Гостиница Россия)の30周年バッジである。裏が押しピンなことからもわかるようにロシアになってからのバッジで(1997年)ホテルのステータスが変わって"Отель Россия"に表記されている。
職員着用のものか、もっと広く関係者に配布されたのかはよくわからない。
高層は高層だが平面面積も非常に大きく、移動のため同じ階を一周するのにかなりの時間を要した。便利な国際郵便局があるので泊まっていないときもたまに行っていたが、長期滞在するようになってからは当然中央郵便局に行った方が何かと楽になった。いまは跡地が広々と空いていて何か夢を見ているようだ。  

Posted by Yakov at 19:50Comments(0)

2024年02月05日

PMC(1)

 全然ロシアに行けていないので困っているが、ロシア在住の友人や他のバイヤーから時々パッチ類が手に入ることがある。



これはミリタリーショーで買ったЧВК(まんまPMCに対応する)ワグネルのパッチの一つ。何種類もあって選択はほぼ使用者の自由という感じだが、これは面白い。不良品なのだ。本来"МУЗЫКАНТЫ,КОТОРЫХ ЗНАЕТ ВЕСЬ ММР"(全世界が知っている音楽家たち)となるところが最後から2,3番目の言葉が”ЗНАЕ ТВЕСЬ”になっていて文として成立しないのだ。ロシア人が間違えることはほぼ考えられないので海外発注分の不良品が流通しているのかもしれない。  

Posted by Yakov at 19:17Comments(0)

2024年02月04日

観光地(65)

 今日はヤルタ会談の記念日だったのを忘れていた。



ということで2015年の秋、ヤルタで買ってきたマグネットである。ヤルタ会談の行われた場所も観光地になっているのでマネキンの置いてある場所で写真も撮れると思う(いまどきは『カメラはダメだが携帯ならよし』が普通なので)。爺のチャーチル大尉(予備役大尉らしい)が分厚いコートを着ているのみスターリンはサマーコート着用なのが面白い。  

Posted by Yakov at 20:18Comments(0)

2024年02月03日

観光地(64)

 クリミアで。



パッと見ごちゃごちゃしてよく見えないが(文字もだ)ヤルタの灯台と帆船が図案になっているのだろう。東大は現在のもの(ソ連時代1927年)と全く違うので1870年代建造の仮灯台ではないかと思う。私がヤルタに行ったのは2015年の秋だが、2016年位ミニチュアのエッフェル塔ができたそうで現在のオデッサ風景を検索していたらひどく面食らった。そういうのはいらないよなあ…。  

Posted by Yakov at 20:55Comments(0)

2024年02月02日

観光地(63)

 ロシアの古都について。



903年に年代記に登場するプスコフ(当然それ以前からある)はロシア北西部の古都である。1348-1510には独立プスコフ共和国の首都、1510年からはモスクワ大公国の一部となった。難攻不落の要塞都市として知られ、一次二次大戦以外は守り抜かれたといってもいい。ペテルブルクができてからは北西の要所としての位置づけは薄れたが、ロシアの誇る古都なのは変わらない。13世紀のチュートン騎士団との戦いは映画『アレクサンドルネフスキー』で広く知られている。  

Posted by Yakov at 20:28Comments(0)

2024年02月01日

交通ネタ(239)

 ツポレフ旅客機でも。



コンコルドスキーと西で変な呼ばれ方をしているが実用実績は上なツポレフTu144のバッジである。60年代の設計で英仏のコンコルドと開発競争
を繰り広げ、1968年末、コンコルドより2か月早く飛行した超音速旅客機であった。
商業飛行は1975-78年、特別派遣などでも使用された。73年パリ航空ショーでの事故などを経て安種類もの改良型が作られ、80年代には飛行実験室というべきバージョンが作られたりエポックメイキングな航空機だったのは間違いない。  

Posted by Yakov at 20:13Comments(0)

2024年01月31日

交通ネタ(238)英雄。

 今回はアエロフロートの英雄について。



1970年、バトゥーミ>スフーミ便のアエロフロートAn24が元リトアニアの反共ゲリラ親子によってハイジャックされた。銃で武装した族あ操縦室を襲うのに抵抗して射殺された20歳のCA、ナジェージダ・クルチェンコの記念バッジである。生まれ故郷のアルタイ共和国ノヴォポルタワのほか、アブハジアなどに記念碑と博物館がある(没後赤旗勲章受勲)。逮捕されたテロリスト二名は短期の服役後保護観察中に逃亡、アムネスティにより政治犯扱いでアメリカに逃亡、と胸糞の悪い話が続く(テロリスト父は2002年に死亡)  

Posted by Yakov at 20:46Comments(0)

2024年01月30日

交通ネタ(237)

 旅客機で。



1964年、ヤコブレフ設計の傑作旅客機Yak40である。これをモチーフにしたバッジは当然ながら多いが、このデザインでベースの塗装色が青、緑など複数あり、これはクリヤーイエローの塗装がかかったタイプである。乗客20-30名(製造タイプによる)の使いやすいサイズであり、世界初の3発ジェット旅客機というのも特徴である。短距離国内戦としての息は長く、90年だお、さらには21世紀になっても使われてきた。後ろの荷物摘み込みランプが乗客タラップも兼ねていて、90年代ウラジオストク便で自分のトランクを後部ラックに積んだ思い出もある。  

Posted by Yakov at 19:57Comments(0)

2024年01月29日

近隣国(116)

 またブルガリアで。



ブルガリア・シプカにある教会のバッジだが、七宝がなんというかぐちゃぐちゃでおどろおどろしい仕上がりにになっている。ヨーロッパロシアだと個人発注のバッジでもこういう出来のものはほとんど見ないので技術格差なのだろうが、まあこれはこれでゴッホの絵のような雰囲気があるといえばいえるかも。  

Posted by Yakov at 20:31Comments(0)

2024年01月28日

観光地(72)

 意匠は帆船だが地名・場所のネタである。



1702年にペテルブルクに近い(現レニングラード州)スヴィリ川に沿った開けた土地にピョートル大帝が造船所を作った場所である。1785年に『市』となり、地域の行政の中核となった。市の紋章は青字に帝政の旗を掲げた帆船で、ソ連時代もデザインは同一であった(何度かマイナーチェンジはあったが)。30年代に労働収容所ができたりレニングラード包囲戦でフィンランド軍におびやかされたりした土地ではあったが鉄道船舶交通も盛んで地域テレビ局その他文化施設もそろったなかなかの規模であるらしい。  

Posted by Yakov at 20:54Comments(0)

2024年01月27日

交通ネタ(236)

 またヘリコプターで。



1967年開発のソ連の傑作ヘリコプターMi8。Mi4を原型にして1960年代初めから開発が始まり、いくつもの試作品ができた。図柄はなんとなくMi4に似ていて、我々がよく知るMi8にはあまり見えないが敢えて突っ込まない。NATO名称ヒップだが、ロシア語の愛称はバケツ、бедроである。
  

Posted by Yakov at 19:26Comments(0)

2024年01月26日

交通ネタ(235)

 帝政期のネタで。



1913年、イーゴリ・シコルスキーが中心になって作ったS10複葉機。RBVZはリガにあった(一次大戦でペトログラードに疎開)ロシア―バルト鉄道車両工場の略で1010年代に最初は外国機の部品、次いで自社開発の航空機を開発していった工房があったのである。のちにイリヤ・ムーロメッツ号や多くの複葉、単葉機を発明したシコルスキーにとって重要な場所であった。  

Posted by Yakov at 19:54Comments(0)

2024年01月25日

宇宙ネタ(13)

 バッジなのだが。



スタ-ウォーズとかではなく。1967年10月30日、宇宙船コスモス186号がコスモス188に自動ドッキングを行った時のバッジ。まあその直後か時間が経ってからのものかはわからないのだが。ともかく3時間半合体して飛行したのち、衛星は地球に帰還した。  

Posted by Yakov at 20:23Comments(0)

2024年01月24日

軍事系博物館(5)

 久しぶりにこれで。



レニングラードの海軍博物館。(4)で紹介した海軍中央博物館と同じだが、この表記は海軍博物館。もともとは1709年にピョートル大帝の指示でできた艦船模型の展示館で、今でも2000以上の艦船模型を収蔵している。海軍博物館にはオーロラ号や潜水艦D2,バルト海艦隊博物館、黒んシュタット要塞など7つの施設がここの別館となっている。19世紀から総合博物館の整備が本格化し、1908年にピョートル大帝記念博物館となり今に続く(ソ連時代は当然その名前ではない)。、中央海軍博物館の名称は1924年からなので、このバッジの「海軍博物館」表記は通称、だと思われる。  

Posted by Yakov at 20:10Comments(0)

2024年01月23日

イベント要員(10)

 要員バッジの現物写真はないが、まあイベントネタということで。



モスクワのソコーリニキ公園にある見本市会場で開催されたソ連軽工業国際見本市のバッジ。軽工業のうちでも繊維、紡績が中心だったらしく、デザインからもそれが伝わってくる。このデザインでは青系のもの、白地に黒文字、緑系などバリエーションがあるのだがその違いはよくわからない。
そしてデザインは異なるのだが出展企業、通訳、プレスなど用に横長の要員バッジも出ていた、とロシアのオークションサイトで今知った。
ソコーリニキの見本市会場は刃物+ロシア伝統工芸、図書、骨董のイベント「Клинок」とかでよく訪れたが、ソ連当時は常設展が多かったВДНХよりも国際見本市がよく開かれたのかもしれない(当時暮らしてたわけではないが)。
  

Posted by Yakov at 20:04Comments(0)

2024年01月22日

観光地(71)

 記念建築物で。



モスクワ近郊・クリンにありチャイコフスキーが最後の2年間を過ごしたサハロフ邸の一部を音楽博物館にした建物のバッジ。チャイコフスキーの兄弟が本院の没後すぐに博物館にしたものである。1921年から国営となった。
建物の下にあるフリーゲリというのは建築用語で建物に付属した夏の客間的な部分である。  

Posted by Yakov at 19:52Comments(0)